旅・浮世

2011年2月18日 (金)

K-4GP Sepang 24時間耐久レース!!

2月12-13日、マレーシア、Sepang International Circuitにて、K-4GP24時間耐久レースが行なわれました。私の友人達が出走するということで、カメラ片手に(両手?)出かけてきました。24時間走り続けるということが、人にもマシンにもどれだけ過酷なことなのか、現場にいた者にしかわからないかもしれません。これら写真の裏側で繰り広げられた様々なドラマを想像しながら見ていただければ幸いです。
開始から10時間くらいは、トップ争いをしていた我がチーム、そのうち何時間かはトップを走っていました。残念ながら、その後マシントラブルに見舞われ順位を落としはしましたが、見事完走!走り続けた4人のドライバーと彼らを支えたピットクルーに惜しみない拍手を贈りたい。
それにしても、やはりトップを走る姿を見ると、体中が興奮します。次回は、トップでチェッカーを受けてくれることを願いましょう。
それにしてもセパンは暑い!!炎天下、日よけの全く無いサーキットを長タマ抱えて歩き回り、ひたすらシャッターチャンスを待つというのは、なかなか苦行です(笑)。それでも、今回は貸し切り状態のサーキット、普通ならアマチュアカメラマンが入ることができないような場所でも自由に行き来することができたのは貴重な体験でした。

2ヶ月後の4月4日には、この同じサーキットをF1が走ります。

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セパンサーキットの名物、グランドスタンドのハイビスカスを模した傘です。

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ホームストレート。

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マレーシアの国旗をバックに。

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各コーナーでは、激しいデッドヒートが行なわれます。

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見守るピットクルー

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夜間走行は、24時間耐久レースの醍醐味。

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12時間近い夜も開ける時を迎えます。

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朝日を背にラストスパート!

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裏ストレート。

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闘い終わって...。

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我らがドライバー達とクルー達、惜しみない拍手を贈りたい。ご苦労様でした。

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2011年2月 9日 (水)

午前1時20分、羽田から国際便でマレーシアへ!

友人が出場するセパンF1サーキットで開催される24時間耐久レースを撮影に行きます。
初の羽田発国際便。午前1時発という、羽田ならではの出発時間。おかげで、危うく出発日を1日間違うところでした。10日の午前1時を10日の夜と勘違い。午前1時は、9日の夜だから...。昨夜慌てて荷造りし、忘れ物は無いかとハラハラドキドキ。羽田が24時間になり、こんな勘違いをする人も増えて行くことでしょう。
なにより、明日から(いやいや今夜から)、怪我無く、自己無く、毒蛇(コブラ)無しでいきたいものです。報告と写真は、帰国後のお楽しみ〜。

いってきま〜す!

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2010年12月28日 (火)

飛行機に乗らないけど、羽田空港に行ってきました!

一昨日、26日の日曜日、友人と羽田空港に行きました!といっても旅行に出かけたわけではなく、飛行機の写真を撮りに。待ち合わせは、お初の国際ターミナル。その後、無料バスを使って、第1、第2ターミナルへ移動。みんなの日頃の行いが良いのか、カラッと晴れて気持ちいい天気と思いきや、冷たい風が吹く、真冬らしい天気。寒がりな私は挫けそうになりながらも、どうにか乗り切りました(笑)こんなにじっくり飛行機の離陸を見たことが無かったので、あの重そうな巨体が宙に浮いていく様は、なんだか自然の法則と人間の叡智を確認するようで、気持ち的にはずっと見ていたいと思いました。しかし、寒い。

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これが一番上手に撮れたかな?(普段、あまり動くものを撮らないので四苦八苦)

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結局、夜までいました。

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国際線ターミナルは、なんだか微妙。やりたいことはわかるけど、大江戸温泉物語の方が良い感じ。

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第1ターミナルは、とっても未来的。普段ANAを利用する私としては、第1は新鮮!

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2010年9月27日 (月)

バイクの森閉館セレモニー。

埼玉県は秩父にあるバイクの森が惜しくも閉館になってしまいました。古くは1920年代から1990年代までの希少なバイクコレクションが魅力的で、閉館してしまうのはどうにももったいない。最近では電動アシスト自転車の出荷台数がバイクの出荷台数を追い抜いてしまったり、めっきりバイク離れが進んでしまっています。かくいう私もバイクに乗らなくなって早や10年。そろそろ、また、復活したいなとか思う今日この頃でした。車の免許を取ったのが30代と遅かった私は、大学時代からバイクでいろんな場所に行き、いろんな人と出会い。たくさんのことを教えてもらいました。車と違い自力では立っていることすらできない不安定な乗り物。ひとたびアクセルをふかせばロケットのように加速する荒々しさを持つ。コーナーでは、地球の重力と、自らの速度と遠心力のバランスを取りながら曲がっていく。ひとつ間違えば暴れだし、格闘技のようになる乗り物。うまく折り合いがつけば、何よりも早く自分を運んでくれ、心地よい風も感じられる。鉄の馬とも形容されるように、バイクを生き物のように感じるのは、そんな不安定さからくるのかもしれない。
なにはともあれ、関係者の皆様、お疲れさまでした。また、どこかで復活されることを切に願います。

閉館セレモニーには、大倉正之助氏鼓動隊の皆さんによる大鼓の奉納が行なわれました。
ドーム状のホールに響き渡る大鼓の音色は、時に激しく、時にバイクたちの労を労い、讃えるかのように、建物全体にこだましていました。火が入ることの無くなったバイクたちは静かに、その鼓の音に身を委ねているように感じたのは私だけではなかったと思います。

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大学時代あこがれだったDUCATI。いつかこれに乗りたいと、プラモまで作ったっけ。(未だに乗れてないけど。)

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1950年代のDUCATI。こんなのも作ってたんですね。

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入り口にはメッサーシュミットが置いてありました。(なんとナンバー付き!)

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2010年8月25日 (水)

これはアートですね。

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蔵前は厩橋のたもとの公衆トイレ。なかなかいいセンスをしている。これはもう、アートですね。ちなみに隣接している建物(右)は交番です。せっかくのデザインなのに、前に植え込みを置くってどういうこと?
邪魔なのか、愛おしいのか真ん中の紳士が息を吹きかけているようにも見えます。どうせ置くなら、一番奥の紳士の前にも置いてあげようよ!

別アングルでもどうぞ。

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2010年8月13日 (金)

学年指定?

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都内のとある駅の男子トイレ。
小1から小9まで、まるで学年を指定されているかのような番号付き。小9は中3なのか?来年半世紀を迎えようかという齢の私はいったいどこで要を足せば良いのかと一瞬躊躇。
写真には写っていない小1が、小さく作られている訳ではありません。

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2010年7月30日 (金)

死海へ。

イスラエル旅日記、再開です。暑いけれど空気が乾燥していて意外に爽やかだったイスラエルに比べて、日本の夏はやり切れない蒸し暑さ。おかげでブログの更新も滞っておりました。

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さて、ひととおりエルサレムを観光した後は、いよいよ死海です。海抜-420m(マイナスです)塩分濃度33%の文字通り死の海へ出かけました。写真は海抜-250mの標識。残念ながら-420mの標識は撮れませんでしたが、このようにゆるやかに地球の臍までどんどん下っていきます。

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途中、まず立ち寄ったのは要塞都市クムラン周辺。ここは、20世紀最大の発見といわれる「死海文書」が発掘された場所です。ご覧のような荒涼たる風景。草も木もない場所に点在する無数の洞窟。1947年から1956年にかけて、11の洞窟からヘブライ語聖書の断片を含む約850巻の写本が発見されました。死海文書が書かれたのは、紀元前200年頃、今から2200年前のここは、いったいどんな風景だったのでしょうか?

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当時の人々の生活がうかがえる住居跡も残されています。現在は水も無い荒涼とした土地ですが、当時は水もあったのでしょうか?住居跡には大きな浴場もあり、人々はとてもきれい好きで、毎日水浴びをしていたようです。高地のエルサレムとは違い、このあたりの日差しはとても強く温度も高い。海抜-420m、海より420mも低い場所、遠くに見える山すらも海面よりは低いという事実が、なかなかリアルには受け止めがたく、まるで違う星にでもきたような感覚です。おそらくは直接太陽光があたる場所では地球上最も低い場所ではないかとも思えます。そのせいか太陽の光もいつもと違って感じられます。

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次に立ち寄ったのは、En Gedi(エンゲディ)、オアシスです。生活環境が厳しいこの地方では、水がある場所に様々な木々や動物が集まります。(もちろん人も観光客も)ここはそういうオアシスのひとつ。乾いた大地にひとしずくの水を求め、水着を持って車を降りました。

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入り口はこんな大きな茅葺き(茅?)屋根。ここで入場料を払って、水のある場所まで歩きます。途中、名前は知りませんが小動物の親子、無数の蝶、鳥の声に迎えられながら、まさにオアシスと、ひたすら水辺を目指します。

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目の前に見えてきた小さな滝、後はもう、カメラを置いて、ただひたすら子どもに戻って、愛しき水の中へ!もはや、写真なんか撮ってる場合じゃない!ってことで、写真はありません。(実は、入り口からこの水辺まで、意外に遠くて、日陰の無い灼熱地獄を歩いてきたので、もう、我慢の限界でした。)
さて、いよいよ次回は死海に到着です。

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2010年7月16日 (金)

エルサレム旧市街とイエス・キリスト【3】

さて、いよいよ聖墳墓教会です。その前に、イエス・キリストが十字架を背負い歩いた道を少しだけ歩きます。全部歩くと大変なのではしょりました。この道は、ヴィア・ドロローサといわれ、旧市街イスラム教徒地区からキリスト教徒地区へ続くおよそ1キロの行程です。途中、聖書の記述に基づいて、14留の印が付けられています。まずは三番目、イエスが十字架の重みに耐えかね、最初に倒れた場所です。建物の壁に黒い半球とプレートが取り付けられており、黒い半球には【III】の数字が刻印されています。下に立っている兵隊さんは、ここを守っている訳ではありません。たまたま、ここで休憩(?)していたようです。エルサレムに限らず、イスラエルではあちらこちらに兵隊さんがいます。高校を卒業すると例外無く、男は3年、女性は2年の兵役義務があるからです。我々が町中で見かける高校生がみんな兵士だったらどんな風景になるかを想像すればわかりやすいかもしれません。(もちろん、皆が町中に出ている訳ではないので、そんなには多くないですが、イスラエルの日常的な風景です。)話を戻しましょう。ちなみに【I】は、イエスが死刑判決を受けた場所、【II】が、十字架を背負わされた場所です。

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第四留【IV】は、イエスが悲しむ聖母マリアと会った場所です。

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続いて第五留【V】では、キレネ人のシモンがイエスの代わりに十字架を背負わされた場所です。その時、嘆き悲しむエルサレムの夫人達に、イエスは、「私のために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣くがよい。」と言った場所だとされています。

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第六留【VI】は、ベロニカという女性がイエスの顔を拭いた場所。その布にはイエスの顔が浮かび上り、「ベロニカのベール」として後生に語り継がれる事になったそうです。この道の両側には常にアラブやイスラムのお店が建ち並んでいます。その要所要所に突然サインが現れます。特に飾り立てる訳でもなく、ただ、地名看板のようにヴィア・ドロローサのサインが壁に取り付けられているのみです。もっとよく物語を知っていれば感慨深く歩けるのかもしれません。

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さらに第七留【VII】、ここはイエスが2度目に倒れた場所です。

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さて、ここらでヴィア・ドロローサを外れて、聖墳墓教会に向かいます。人通りが多かったので、ちょっとショートカット。教会の上(屋上?)を渡ります。あまりに建物が入り組んでいるためこんなこともできちゃいます。なんとなく街全体がひとつの建物と化しているような不思議な感覚。

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いよいよ聖墳墓教会。

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中に入ってすぐ、あまりにも突然現れた荘厳な風景。それもそのはず、ここは第十一留と十二留が隣り合っています。写真は第十二留。イエスが十字架につけられ息を引き取った場所です。真ん中下にひざまずいている女性がいるそのすぐ前が十字架の立てられた場所です。敬虔な信者はそこにひざまずき、キスをしています。行列に並べば、それを間近に見られますが、キリスト教徒でもない私が物見遊山で列に並ぶのは敬虔な信者の方々に失礼だと思い、遠慮しました。この場に立ちこめる空気を感じられただけで十分です。

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教会の中は、こんなに複雑で入り組んだ造りになっています。もともとはゴルゴダの丘、その上で、イエスの足跡を覆うように建てられたからなのでしょうか?

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つづくこの場所は、一畳ぐらいの石の板が置かれています。ここは、十字架から降ろされたイエスの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフが遺体を香油で清めた場所です。その後、亜麻布に包まれます。これはユダヤ人の埋葬の儀式だそうです。

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その時の様子が、壁画に描かれています。

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そしていよいよ最も神聖な場所、第十四留、最後の留、教会の中に建てられた特別な聖堂。そうです、ここがイエス・キリストの死体が安置された場所。この聖堂の中にイエスの墓があります。中にも入れるのですが、先の場所と同じく、私が信者の方々を差し置いては申し訳ないと思い、入りませんでした。

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イエス・キリストが埋葬された場所ということは、ここがイエスの復活した場所でもあるのです。天井から差し込む光が、天上からの神々しい光に見えてしまいます。

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2010年7月15日 (木)

エルサレム旧市街とイエス・キリスト【2】聖地巡礼

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もしかしたら、旧市街、いや、エルサレムという土地を語る上で最も象徴的なのがこの風景かもしれません。手前にある壁が「嘆きの壁」その上に建っているのが「岩のドーム」、いろんな意味でここがすべての始まりといえるんじゃないでしょうか。そもそもソロモン王がこの地にエルサレム神殿を建てたのが紀元前965年頃、しかし、その神殿は、新バビロニア王ネプカドネザル2世により、ユダヤ人をバビロニア地方へ捕虜として連行し移住させたバビロン捕囚の際に破壊されました。(もしかしたらこれがユダヤ民族最初の悲劇なのかもしれません。)その後、紀元前515年頃に再建され、さらに紀元前20年頃にヘロデ王によって改築されました。ちょうどこの時期にイエスも神殿を訪れたらしいことが聖書にも記載されているようです。
残念ながら、ユダヤ民族の繁栄も長くは続きません。西暦70年に、今度はローマ軍によって完全に破壊されてしまいます。その時、かろうじて残ったのがこの神殿の西壁でした。その後、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りを禁止されてしまい、300年後の4世紀になって、やっと1年に1日だけ立ち入りが許されるようになります。その時、ユダヤの人々はこの西壁に向かい、祖国の復興を祈りました。いつのころからかこの壁は「嘆きの壁」と呼ばれるようになります。もちろんこの名称は、他人が勝手につけたもの。ユダヤの人々は「西の壁」と言うそうです。後の時代にここを訪れた外国人が「ユダヤ人が嘆く壁」と表現したことから現在に至っているようです。(もちろん諸説ありますが)

ユダヤ人の悲劇はさらに続きます。7世紀に入るとパレスチナ地方全体がイスラム教徒のものになり、神殿の丘も、もちろん、その支配下におかれます。ムハマンドがある岩から昇天したとされ、691年にその岩を中心にして「岩のドーム」(写真上)建設されます。こうしてここはイスラム教の聖地にもなってしまいました。結局、ユダヤ人がエルサレムに入れるようになったのはごく最近の事、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが旧市街を含む東エルサレムをヨルダンから奪うまで、西暦70年のローマ軍に神殿を破壊されてから、実に1900年ぶりで、やっとユダヤ教徒が自由に礼拝できるようになったのです。それでも、今もこの「岩のドーム」周辺にはユダヤ人は入れません。

ここで流れた3000年の歴史、その内1900年間のユダヤ人の祖国復興への執念、政治的、宗教的な確執、それらすべてをこの風景がものがたっているように思えてなりません。イスラエルとハレスチナ、ユダヤ教とイスラム教の確執は、今なお収まる所をしりません。わずか200年ほど前に建国したばかりのアメリカなんぞが、和平のための調停に乗り出した所で、到底収まるようには思えません。訳知り顔で、イスラエルはわがままだ、パレスチナがかわいそうだとか、他人が簡単に口にできる事ではないと思い知りました。聖地の上に聖地を積み上げてしまった光景、もはやどうしようもないこの光景が物語るものはいったい何なんでしょうか?人の業(ごう)の根本を突きつけられたような、やり場の無い思いが残ります。

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2010年7月14日 (水)

エルサレム旧市街とイエス・キリスト【1】

最近、忙しさにかまけてブログの更新が滞っておりました。イスラエル編再開です。
エルサレムは、誰もが知っているキリスト教の聖地。ユダヤ教とイスラム教の聖地でもあるから三つ巴でややこしい状態になっている。しかし、この3教、そもそもユダヤ教から発生したものであり、エルサレムを繁栄に導いたダビデ王に繋がっていく。だから聖地が同じなのもしょうがない。だったら、なんで互いに牽制し合い、戦うのか? 元は同じでも袂を分かったことにより、かえって確執が深くなってしまったという事か?結局、相手を認められなかったから袂を分かったのであり、違う思想で各々の価値観を形成していってしまったのだから、今更互いを認め合う事はできないのかもしれない。その年月が2000年を超えてしまった今となっては、時間が解決してくれるような事でもなさそうだ。

さて、この日は、エルサレムの旧市街の観光。
まずは全貌をおさらい。中心に見えるのが、ソロモン王が建設したエルサレム神殿跡。ここに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のもっとも大事な場所がある。それぞれ、嘆きの壁、聖墳墓教会、岩のドーム。聖墳墓教会はコンスタンティヌス1世は325年頃にイエス・キリストの磔刑の場所に教会を建てるように命じて建設されたもので、ここに「ゴルゴダの丘」があったといわれている。

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暑い日差しを避けるように、まず、入った小さな部屋。まるで通路の間の控え室のような小さく質素なた佇まい。暑い暑いと日陰の涼をとるのにちょうどいい。エルサレムは空気が乾燥しているので、日向は暑いが日陰は涼しい。しかも石造りの建物はひんやりしていて気持ちがいい。そんな事を考えていると、ガイドのおじさんが、「この部屋は、最後の晩餐が行われたといわれる部屋です。」とあっさり。「えっ??」と驚く私。しょっぱなから、食前酒も無くメインディッシュが出たようなものだ。ここはエルサレム、すべてがメインディッシュのような街なので、驚く方がおかしいのかもしれないが、それなそうと入る前に言って欲しかった気もした。それにしてもダ・ビンチの壁画とはずいぶん印象が違うなぁと思いつつあたりを見渡す。天井のアーチは美しいものの、やっぱり、ちと殺風景な小部屋に変わりはない。ガイドさんの説明によると、そもそもエルサレム神殿にはダビデ王が埋葬されている。この部屋も、その上に建てられていることになる。イエスもユダヤ人なので、ダビデ王の墓所の上に足を踏み入れる事はありえない。となると、ダビデ王の墓所ということか、最後の晩餐の部屋であるということのどちらかが本当ではないことになってしまう。とはいえ、各々そう言い伝えられているので、細かな事は言及しないことになっているらしい。なんとなくこの辺のおおらかさが、日本人に似ていなくもないと思う。

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つづいてマリア永眠教会へ。精巧なモザイクで描かれた壁画や床など眼を見張るものばかりです。

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床には12宮の美しいモザイク。その上を歩くのが申し訳ない感じ。しかし、礼拝用の椅子が置かれているので、こっそり少し移動させていただいて撮影。

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これは、私の星座、牡牛。

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水瓶座も美しい。

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中でも私がもっとも眼を奪われたのがこのモザイク。まるでイエスが浮き上がっているように見えるリアルな絵はすべて細かなモザイクで描かれています。この絵の前でしばらく動けなくなってしまいました。

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さあて、いよいよ次は聖墳墓教会です。そのまま書き続けたい所ですが、長くなってしまいますので、続きは後日。最後にマリア永眠教会の安らかな天井をどうぞ。

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