コラム・独り言

2012年7月 2日 (月)

なんとなく計算が合わない気がする原子力発電。

3.11からこっち、原子力発電所に関して、様々なところで、それこそ様々な意見が飛び交っている。テレビでもネットでも、原子力発電という言葉を目にしない日は無い。賛否両論入り交じり、何が正しいのか、今後、我々はどうすればいいのか?自分自身、真っ当な答えを見いだせないでいる。明確な意見を持たないままブログに書いて公表してしまう事に不安もあるし、ましてや専門的な知識を持たない私が、間違っているかもしれない知識を公にさらしてしまってもいいのかとも思う。ただ、ここ1年半、それなりに興味を持って様々な意見に耳を傾けてきたし、自分なりにもいろいろ考えた。それこそ、今まで自分にはさして関わりのないことだと考えもしなかった原子力発電のことを、ここらで自分なりに少しだけ分析してみようと思う。もちろん、専門知識の無い私、ここ1年半でためた知識は、どれもテレビやネットから拾った、ある種、偏った可能性もある情報なので、間違ったこともあるかもしれない。出来るだけ、技術系ではなく、文系で書こうと思うので、その分を割り引いて読んでもらいたい。

頭の中で、いろんな人の意見や情報が、まとまらずに浮遊している。その多くから、同じ疑問にたどり着く、それは、「原子力は、今の我々にとってオーバーテクノロジーなんじゃないか?」ということ。確かに原子力は、我々に多くの恩恵をもたらしてくれる夢のテクノロジーなのかもしれない。人類がこの技術に手を付けたとき、それこそ未来が開ける気がしたに違いない。我々の祖先が初めて道具を使った時、初めて火を道具として使った時に匹敵する発見のように言われていた気がする。そう、「原子の火」と。それからの歴史は、すでに誰もが知るところなので、今さら書く必要も無いだろう。ただ、その未来を正しく理解していた人は、果たしてどれくらいいたのだろうか?賢明な科学者達は、もちろんわかっていただろう、実用化されてしばらく後には、頭の良い官僚や電力会社の上層部もわかっていたんじゃないだろうか?そして、我々も薄々感じていた。この原子の火が、我々に、いや、我々の未来に大きな負の遺産を残してしまうかという事を。

チェルノブイリや、スリーマイル島、福島の事故の事を言っているのではない。もちろん、ひとたび事故に見舞われれば、それこそ、取り返しのつかないくらい大きな負の遺産を抱えてしまうのは、誰しも知るところだ。しかし、もし、これらの事故が無くて、すべてが順調に稼働していたとしても、我々は未来に対して大きな負の遺産を残してしまうことになる。先日、テレビで、フィンランドに建設中の最終処分場「オンカロ」が取り上げられていた。最終処分場というのは、原子力発電所で出る使用済み核燃料を、地下深く埋めて、自然に無毒化するための施設だ。そう、我々人類は、世界中で使用されている核燃料から出る核のゴミを無毒化する技術を持っていないのだ。ただ、だれも触れる可能性の無い地中深くに埋めて、自然に無毒化するのを待つしかない。オンカロは、地下300mの深さに3000個の縦穴を彫り、そこに使用済み核燃料を埋めて、すべてを埋め尽くしたら、完全に封印する。しかし、それらが無毒化されるまで、なんと10万年の時間を要する。3,000個の井戸に、果たしてどれくらいの量が埋められるのかは正確な数値は知らない。wikiによると100年分くらいの使用済み核燃料が埋められるらしいが、たった100年分のゴミを無毒化するのに10万年もかかってしまうのだ)しかも、このオンカロ、世界で初めて実用化される最終処分場というから、驚きを通り越してあきれてしまう。なぜ、初めてなのかというと、最終処分場を作るには、重要な条件がある。ここには、人類を何度も絶滅させてしまえるほどの核廃棄物が埋められ、それらを安全に10万年封印しなくていけない。そのため、まず大事なのは、変動の少ない地層。オンカロの地層は、たしか、18億年前の地層で、その間、大きな変動の痕跡が見つけられない。だから、今後10万年は、大丈夫ということだ。そんな条件の土地は、地球上探しても、そう多くはないだろう。ましてやこの地震国日本にあるとは思えない。

オンカロに埋められる100年分という数字が、(全世界の)なのか、(フィンランドの)なのか(ヨーロッパの)なのかを私は知らないが、たとえ楽観的に全世界のだとしても、少なくとも100年にひとつは、こういう施設を作っていかなければならない計算になる。最初のひとつが無毒化されて再利用ができるまで(できるとして)10万年の間に、1,000カ所作らなければならないことになる。

10万年という時間は、あまりにも長い。10万年前といえば、我々人類の祖先、ホモ・サピエンスがアフリカを出て、世界各地に広がった時期だ。当時は、氷期で、大陸は地続きになっていた。5万年前にはクロマニヨン人が出現、氷期も終わりに近づいた1万3,000年前に、ようやく日本列島は大陸から離れ、今の形を形成した。縄文時代が始まったのは、1万6,500年前だ。初期の文明、エジプト文明が現れたのは、たった3,000年前だ。こう考えると、10万年がいかに途方も無く長い時間かがわかるだろう。その間に何がおきるかだれも予測することはできない。

我々が、わずか数十年使ってきた原子力の火、その影響が及ぶ果てしない時間、そこから受ける恩恵と、未来に残す影響を天秤にかけると、どうにも計算が合わないように感じる。


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2011年10月12日 (水)

コカコーラのハッピー缶!アタリ。

昨日の朝、何気なく、いつものように会社のビルの一階にある自販機で、これまたいつものようにペットボトルのお茶を買った。違うとすれば、爽健美茶か綾鷹か、ほんの少し迷ったぐらいで、結局のところ綾鷹を買った。大きく違ったのは、この日、週末にひいた風邪を引きずっており、疲労感を感じていた私は、隣の自販機で普段飲まないアルギンZを買ってその場でプルトップをあけた。それを飲みながら、ふとコカコーラの自販機の上の方、告知ボードを何気なく見ていた。なにやらキャンペーンが行なわれているらしい。ぼーっとしながら見ていたので内容はわからないが、ハッピー缶なるものが当たるということだった。注意書きに「当選したハッピー缶は、商品の後から出てまいります。お取り忘れのないように....。」「ふ〜ん、そうなんだ〜」と、ボケた頭でおぼろげに考えながら視線を下に向けると、商品取り出し口にコカコーラの缶がある事に気付いた。「あれ?」おもむろに取り上げてみると、ずっしり重い。よくよく見ると側面には「ハッピー缶 アタリ」というなんともださいデザインの文字が入ったコーラの缶だった。コカコーラの洗練されたデザインとはとても不釣り合いな稚拙なタイポグラフィー、はっきり言ってひどい、ぶちこわしだ。とはいえ、何か当たったらしいと、あわてて取り出し、そそくさと会社に登っていった。

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どうひいき目に見ても(ひいき目に見る必要は無いが)ださい。

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ふたの付け方は素敵だ。缶のバランスを損なうことなく、上手く加工されている。

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中に入っていたのは、球体のストラップと、重い固まりが2個。重さの正体はこれだった。

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ストラップは、ふたが開く。すると黒い粘着質な突起が現れた。
ここで、同梱されていた説明書をやっと読む。なにやらスピーカーのようなものらしい。

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説明書通りにセットするとこうなった。
空洞で共鳴するものにくっつけるだけで、それがスピーカーになってしまうという代物。なかなか画期的だ!早速、iPhoneをつなげて鳴らしてみる。ちゃんと鳴る鳴る!意外に音は悪くない!ただ、コーラの缶では、音量を最大に上げても大した音では聞こえない。会社にあるいろんなものとくっつけてみる。(意外に共鳴するようなものがない事に気付く)結果、一台だけ残っているCRT(ブラウン管)モニタが、一番いい音を奏でた。

これなら重いスピーカーを持ち歩く必要が無い。ストラップとして持ち歩けば邪魔にもならない。素晴らしい!話のネタにもなるし、せっせと持ち歩こう!

..........と思ってなんとなく感じた違和感にふと気付く、

「iPhoneってストラップつかないじゃないか!!!」

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2011年4月11日 (月)

この一ヶ月の間に考えたこと。

一ヶ月前のこの時間、東北地方太平洋沖地震がおきました。
以下は、ここ一ヶ月、私が折々に思ったこと、考えたことを集めたものです。中にはTwitterでつぶやいたものも混じっています。あくまで、私個人の考えや思いつきですので、間違いや考え違いもあるでしょう。時系列にそってまとめてあるわけでもないので、矛盾や思い込みも多々あると思います。あまりにも非日常な出来事が次から次へ起こり、平静であろうと自分に言い聞かせながらも、時に冷静さを失ったこともあると思います。それでも、それらすべて、この一ヶ月に私が考えたことから、思い出せるものを集めました。
この先、日本がどうなっていくのか、私にはわかりません。わからないからといって、原子力や放射能のように必要以上に恐れる必要もないし、ましてや、他人のせいにしても、何も変わりません。今は自分で考え、自分に出来ることを精一杯頑張るしかないと思います。一ヶ月経った今、過去に思いを馳せ、現在を見つめ、未来に夢を見るため、自分自身を今一度見つめなおそうと思いました。

原発反対。
今となっては、賛成するわけにはいかなくなってしまったけれど、反対が強いから、作れる場所にまとめて作ってしまって、今回のような大規模な災害になってしまった。反対が強くて、新しいものを作れないから、古くなって、多少危険になっても使い続けるしかなくなる。計画停電のパニックや、スーパーの空っぽの棚をみると、我々はもはや電気なしでは暮らせないことを思い知らされる。反対するのは簡単だけど、反対するからには、他力本願じゃなく、自分を律することが必要なんだと思う。電気やテレビを付けっぱなしにしたり、必要以上にエアコンの設定温度を上下したり、だれもが思い当たる節があるし、耳が痛い。

電気
自然界には、我々がそのまま使える電気というものは無い。その「便利」を享受するために我々がどんなリスクをしょっているのか、改めて考える必要がある。

半減期。
半減期とは放射性物質が半分に減るために要する時間の事。つまりは放射能が半分に減るまでの時間。
ヨウ素131は半減期が8日間、プルトニウム239は2万4千年。放射線は、各々が崩壊する時に放射される(乱暴な言い方をすれば有害物質が無害になる時に吐き出す毒のようなもの)それだけ長い時間放射線を発するという事だけれど、量が同じなら、私があと30年生きるとして、ヨウ素やセシウムに関しては、その全てを受けてしまうが、プルトニウムに関しては、その800分の1しか受けない事になる。
※これはあくまで量の問題であって、有害性は、また、別の話。

自然の恩恵と、おごりの代償。
自然は我々に様々な恩恵をもたらしてくれる。人間は、その恩恵だけでは飽き足らず、自然をコントロールしてやるというおごりを持った。そのおごりが災厄を招くとは考えなかったのか?いや、考えたけれども、自然はもっと偉大なものだった。所詮、人間も、その自然の一部でしかない。
「人の皮膚に住みついた蚤は、決して人を操ることはできない。」
自分自身をもコントロールできない人間が、はるかに偉大な自然をコントロールできるというおごりを、自然は一笑に歩したのではないか?とも思う。

地球にやさしく。
これこそ人間のおごり。地球が我々にやさしくしてくれなければ、人間はあっというまに消し飛んでしまうほど小さな存在ではないのか?

祭り。
祭りとは、そもそも神の怒りや、自然の猛威を鎮めるために行われてきたこと。ただのお祭り騒ぎではない。こんな時だからこそ、本来の意味で、祭りをすべきじゃないだろうか?自粛なんてもってのほかだ。自然に対する恐怖と感謝を思い出すべきだ。

東電。
東電を悪者にするのは簡単だ。たしかに悪い部分はたくさんあるだろう。しかし、東電を悪者にしたからといって、自分たちの無意識の罪が許される訳ではない。

作られた悪者。
他人のせいにすれば、自分は悪くないと思える。誰かを悪者にすれば、自分たちのせいじゃないと安堵できる。そういう浅はかな考えが、いじめを生み、差別をエスカレートさせ、戦争を起こさせる。
でも、それじゃあ何も解決しない。

情けは人の為ならず。
各国からの支援や応援の声を聞くたび、この言葉を思い出す。みなが人を助けたいと思えば、自分も救われる。それは、道元禅師の自未得度先渡他に通じる。今、我々に届いているのは、先人達がしてきてくれたことの実り、我々もまた、それを次の世代に繋ぐために動き出さなければいけない。

情報開示。
情報開示は、とても大事なことだけれど、すべての人がそれを冷静に判断できるとは限らない。その時の精神状態も理解力、知識レベルも様々。ツイッターを見ていると、つくづくそう感じる。自分の判断が本当に正しいのかどうかわからないけれど、少なくとも自分で判断したんだから、納得はできる。

責任をとって辞任します。
すぐ、みんなが責任とって辞めろって、言うから、辞めればそれで御破算になるという風潮が蔓延している。政治の世界は特にそうだ。責任取る気があるなら、命をかけて続けろ!

批判と賞賛。
巷で批判と賞賛を比べると、おそらく批判の方が多いだろう。批判するのは簡単だ、気にくわないところを見つけては悪態つけばそれで済む。批判されれば言い訳をする、あんたはどうなんだと反論する。結局、悪口の言い合いで建設的なことは何も無い。賞賛されたらどうだろう?照れくさいなどと思いつつ、自分はその称賛に値するかと自問する。その賞賛に応えようと、よりいっそうの努力をする。賞賛とまではいかなくとも、まずは悪いところは目をつぶり、相手の良いところを探してみよう。

リーダーの資質。
リーダーの資質って、元々あるものばかりじゃ無いと思う。こんな時に、決して逃げださず、投げ出さず、諦めないで歯を食い縛って、頭と体と心を目一杯使って行動するから、備わってくるもんじゃないだろうか?

ビジョン。
震災前は、管総理の発言に、ビジョンが無い、日本の将来に向けての長期的な見方が出来ていないと言っていたマスコミ。震災後、復興という未来を語り出した管総理に、先のことも大事だが、今、そこで苦しんでいる人々の意見を聞くべきだと、論調が変わった。

ビジョン2
トップが掲げるのは、将来へのビジョンで良い。後はそれを実現させるため、スタッフが動けば良い。だからこそ、内閣や、大勢の政治家、もっと多くの官僚がいる。こと細かく意見をを聞き、こまかな采配をするためにこそ彼らがいる。トップがいちいち細かいことに気を取られていては、大きな一歩は踏み出せない。。

給油制限。
(春分の日のツイート)三連休の中日のせいか、ガソリン不足のせいか、都内には車が少ない。これで、少しは空気がきれいになるかも。みんなそろそろ、いろんなものを無駄遣いしてたことに気づくのかな?でも、給油待ちはアイドリングストップでお願いします。

買い占め。
海外のメディアで、日本人の規律を重んじる姿勢や冷静さを賞賛してくれているが、その中に、関東圏で買い占めに走る日本人は入っていないと思う!テレビを観ながら買い占めた食料を貪るのはやめて、ちゃんと働こう!頑張ってる被災者の方々のために...。もう、被災者ごっこはやめよう!

わからないことの恐さ。
「わたしなんか、わからないから、恐くて恐くて.....。」
「とりあえず、わからないから、水とトイレットペーパーだけは買っとこうと...。」
「だれも説明してくれないからわからないしねぇ...。」
      ・
      ・
      ・
「わからないんだったら、調べればいい!勉強すればいいだけじゃないか!」
もう、いい加減、他力本願じゃなく、自分で考えようよ!

経験という宝。
「古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう。」
「古い船を今、動かせるのは、古い水夫じゃないだろう。」
「なぜなら古い船も、新しい船のように、新しい海へ出る。」
「古い水夫は知っているのさ、新しい海の恐さを。」
(イメージの詩/吉田拓郎より)

働く。
利権に走らなければ、素晴らしい解決策はいくつも見つかると思う。その積み重ねが日本をきっと良くしていくはず。みんなで手を動かそう!楽して金儲けは、しばらくお預け。マネーゲームはほどほどにして、額に汗してみよう。

自然に生きる。
「誰かが言ってたぜ、俺は人間として自然に生きているんだと。」
「自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう。」
(イメージの詩/吉田拓郎より)

不便は工夫のエネルギー。
便利な世の中で、人は工夫を忘れる。便利なものは全て、だれかの工夫の上に成り立っている。今年の夏は、電力不足から、様々な不便を強いられる事になるだろう。今こそ便利な世の中で眠っている工夫する力を呼び起こし、頭を賢く使おう。

不便を楽しむ。
江戸時代は、今と比べれば、それこそ考えられないくらい不便だったはず。人々は工夫することによって不便を便利に変えるだけじゃなく、変わらない不便を楽しんじゃうくらいの気概があった。それが「粋」ってもんだ!

発見。
人間の体って不思議だ!止まっているムービングウォークを歩こうとしたら、乗り降りで身体が勝手に反応してつんのめりそうになった。頭では動いていないのがわかっているのに、体は反応するんだ!節電はいろんなことを教えてくれる。

桜。
しっかり根をはって、幹が強ければ毎年桜は咲く。こんな時でも精一杯咲くんだ!うつむいて暗くなるんじゃなく、桜を見上げて笑顔と勇気と自信を取り戻そう!

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2010年10月21日 (木)

神楽坂テーマパーク第二夜。

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いよいよ最高に緊張した第二夜。第一夜の私は番頭兼カメラマンでしたので、進行が滞り無くいくかどうかの心配こそありましたが、緊張する場面はありませんでした。一番緊張したのは若旦那のかづさんでしょう。しかし、第二夜。ついに人生で初めてステージに上がる日がやってきてしまいました。
昭和の話をするときに、ビジュアルだけでは片手落ち。フォークソングに歌謡曲、アニメソングと、懐かしく思い出されるものは常に当時の音楽と一緒でした。逆に懐かしい音楽を耳にすると当時の事が蘇ってくるものです。そんなわけで、まずはフォーク、初期のミーティングに参加していたメンバーの一人が言い出したのは、かぐや姫の「22才の別れ」(実際は風?)誰もがあの時代を思い出す曲。ベルボトムやロンドンブーツ、長髪にサングラス、髭、ヒッピー風なシャツ。そんな話をした翌週には、かづさんにそそのかされてお茶の水でアコスティックなギターを買うはめになりました。しかし、最近のギターは進化している。ギターという楽器は、これ以上進化する余地がないかと思っていたので驚きです。マイク内蔵でアンプにつなげられる所まではまだわかる(エレアコっていうんですね。)。なんとチューナーまで内蔵している!!初心者にとって意外に高い壁になるのがチューニング。そのチューニングが目で見てやれるなんて、なんて便利な世の中になったんでしょう!しかし、ギターを買いにいったのが、このイベントの約2ヶ月前。それから毎夜ひそかにスリーフィンガーの練習をしてきました。そんな訳で一曲目は、22才の別れ。しょっぱなでミスって、笑いを取って、仕切り直し。みなさんの手拍子がありがたかった。ちなみにかづさんはリードギターです。それにしても、弾きながら歌う事のなんと難しい事か、カラオケなら何回も歌ったことがあるのに全く勝手が違う。ギターに集中すれば歌詞が抜けるし、歌に集中すれば手が止まる。冷や汗かきっぱなしです。

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もうひとつ大事なアイテムはベルボトム。今時、ベルボトムなんて売ってるんだろうか?古着屋回りでもしなきゃならんかと思っていたのに、ありました。渋谷に!ベルボトム専門店DEE DEE。古着じゃなくれっきとした新品が手に入る店。ほぼ同い年の店主と古き良き時代を語り、その三日前の夜、ジーンズメイトで店員のにいちゃんに「ベルボトムはどこにありますか?」と聞いたら、「ベルボトムってなんですか?」と聞き返された事に、「仮にもジーンズショップに勤める人間がベルボトムを知らんとはけしからん!」と嘆きながら裾直しをしてくれている姿になんだかかっこいい哀愁を感じました。

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続いて、2曲目は、イルカの「なごり雪」これは、澤田さん(会場では女中頭)にイルカをやって欲しい!オーバーオール着て!という私の願いが受け入れられた演目です(笑)同じくDEE DEEで手に入れたベルボトムのオーバーオールは、昔のと違う!こんなオシャレな感じじゃなかった!とぶつぶつ文句を良いながらも演奏開始。


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3曲目は、今風に言うならアニソン。ひみつのアッコちゃんのエンディング曲「すきすきソング」この曲、作詞は井上ひさし、作曲小林亜星、歌は言わずと知れた水森亜土さんです。最近はCM曲に使われています。なんてタイムリー!原曲のキーボードはなかなかかっこいい!さらに舞台右には、京都からこの日のために駆けつけてくれたアッコちゃ〜〜ん!

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続いて4曲目。真打ち登場、かづさんの「ルパン三世のテーマ」

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最後はなんと、「ドリフの早口言葉」これは、ベースのなかのさんが、初めて弾いた思い出(?)の曲!懐かしさと可笑しさで、ほぼ全員が参加し、大盛り上がりのうちにこの日は終了。それにしても来てくださった会場からあふれるほどたくさんのお客様。最後までだれ一人席を立つこと無く、一緒に盛りあげていただいた、あたたかさに感謝です。これもひとえに主催者(首謀者?)かづさんの人柄の良さなんでしょう。今一度みなさま、「ありがとうございました。」

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2010年10月20日 (水)

神楽坂テーマパーク第一夜

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半年に渡ってああでもないこうでもないとミーティングを重ね、30年ぶりのギターを買い、人生初のスタジオ入りを経験し、渋谷のベルボトム専門店で、この先履く機会があるかどうかもわからない縦ストライプでぱっつんぱっつんのベルボトムを買い、大勢の人々のやさしいご協力のおかげで、「神楽坂テーマパーク2010」(年号付けたら来年もやるのか?)も大盛況のうちに無事終了しました。
会場に駆けつけてくださった皆様、暖かい拍手をどうもありがとうございました。大々的に(というか全然)告知をしていた訳でもないのに、神楽坂のギャラリーフラスコは連夜、人が道に溢れるくらいの大入りで、最後まで席を立つお客様も無く、主催者かづさんの人柄の良さなのか、神楽坂の人々のあったかさに感謝感謝の2夜でした。
この企画、会場にいたスタッフもお越しいただいたお客様もその趣旨がわからない、でも、なんだかとっても楽しいという、へんてこなイベントでした。そもそも、神楽坂にサラスというお店をオープンして10年ほどになる(この「ほど」がまた中途半端できっかり10周年記念とかっていうわけじゃありません。)「髪結いのかづさん」が、年男である今年、突然思い立ったかのように「自分祭りをやりたい!」と言い出したのが発端。周りのみんながその人の良さにどんどん巻き込まれ、あれよあれよという間に実現してしまった。という巻き込まれた人々もその先に何があるのかわからず、いっしょにつっ走ってしまった本気の大人遊びでした。
決まっていたテーマはただひとつ「昭和」。昭和と言っても、我々が子供だった時代の昭和というピンポイントな時代。その中心には、やはり、大阪万博は外せない。ってなわけで、上のシンボルは、(神楽坂のシンボル)毘沙門さんと太陽の塔をくっつけてイメージしたもので、タイトルも当初、どんなものになるか、まったくわからなかったので、何をやっても良いように「神楽坂テーマパーク」としました。

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昼間の会場は、ギャラリー(というか休憩所?)。飾られている写真は、主催者かづさんの写真。住まいもある神楽坂を拠点に、趣味人かづさんが遊びまくった数々の写真。壁の下、腰板のように巻かれているのは、60年代、70年代の懐かしい雑誌広告。これをひとつひとつ見ていくだけでも当時の事が懐かしく思い出され話に花が咲きます。奥の舞台は昼間、お茶の間になっており、ちゃぶ台の上には懐かしい昭和のおもちゃや水飲み鳥が首を振り、ブラウン管テレビでは、当時の懐かしいCMが流れています。
駄菓子は食べ放題、飲み物は、アルコールはオールドの水割り、それから、同年代ならわかってもらえるはずのウイスキー(オールド)のオロナミンC割りとオロナミンセーキにオロナミンミルク。それから「ひやしあめ」これがなかなかの誤算、私やかづさんには「ひやしあめ」は懐かしい飲み物の代表みたいなものでしたが、色々聞いてみると、どうやら関西ローカルな飲み物だったらしく、東の皆さんには全く馴染みのないもののようでした。それでも、面白がってた飲んだ方々には、美味しく召し上がっていただけたようですし、中には、オールドのひやしあめ割りを気に入り、何度もおかわりしてくださる奇特な方もいらっしゃいました。

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おすすめの逸品がこれ「チビ太のおでん」△○□を串にさした懐かしいさ満点、味も三ツ星なおでんでした。本物は、こんにゃく、がんも、鳴戸巻きですが、今回は、こんにゃく、エビ天(ボール)、ちくわにしました。1串200円なり。一晩50本、2日で100本は見事完売。我々スタッフもほとんど口にできないほどの大人気でした。

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かっぽう着を着たおかみさんと女中頭がチビ太のおでんを仕込み中。その様子をうかがうピッピー姿の放蕩娘の図。

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最初の演目は、鼓動隊の大鼓と能管のセッション。オープニングにふさわしく大鼓の張りつめた音と能管の空気を切るような調べが、始まりを伝えます。この日の演目はすべて、日本の伝統芸能。笛、三味線から阿波踊りまでこなす多芸なかづさんの自分祭りの幕が開きました。

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演目と演目の間は、飲み物とチビ太のおでんを片手に談笑。

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二つ目の演目は、仕舞「老松」習いたてのお能の仕舞を披露です。地謡は紙問屋の宇野さん、緊張がこちらまで伝わってくるようです。ちなみに後ろの竹に付けてある能面は、上の童子が澤田さん(女中頭?)作、下の小面は私作です。

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三つ目は、長唄で「老松」かづさんが笛を吹きます。

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トリは、「老松」にインスパイアされて、かづさんが作曲したオリジナルをギターで弾き、それに合わせて日本舞踊のお師匠さんが舞われます。かづさんが全身全霊を注ぎ込み、もっとも緊張した演目だったそうです。

ということで、第一夜は無事終了。この後、阿波踊りの飛び入りがあったりで、宴は夜遅くまで続きました。二夜目は徹底的に昭和。いよいよ恥ずかしながら私の登場です。乞うご期待。

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2010年6月 6日 (日)

明日からイスラエル!

明日からイスラエルに行って参ります!
ニュースを見ていると、向こうではちょっとゴタゴタがあるようで多少気になるところではありますが、とにもかくにも行ってこようと思います。戻りは18日ですので、このブログもしばらくお休みです。思えば、昨年4月から、正月を除いて1日もお休みすること無く更新してきました。(実は先日一日だけすっかり忘れていましたが・・・。)こんなに長くお休みするのは初めてですが、18日以降出来るだけ早く復帰いたしますので、どうかみなさん再びお越しいただけるようお願い申し上げます。
再開は、おそらくイスラエル紀行になるかと思います。滅多に行けない場所、たくさんの写真を撮ってこようと思っています。乞うご期待!

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2010年6月 5日 (土)

地球温暖化とヴァイオリンの音色。

ヴァイオリンの音色は、使われている木に大きく影響されるらしい。木を使ったあらゆる物がその木の材質に影響されるのは衆知の事実だ。だからこそ、用途によって適切な木が選ばれている。能の大鼓の胴は硬い桜の木、非常に硬い柘植の木が櫛に使われるのは有名だし、その他小さな細工物によく使われる。湿気に強く、防虫効果もあると言われる桐は家具に、水に強い桧は、建物に使われる。中でも桧風呂は有名だ。ヴァイオリンに使われる木は二種類。表は柔らかく弦に共鳴しやすい松の木、裏面は硬い楓が使われる。いい音色を奏でるために必要なのは木の種類だけではなく、その木の質が大きく影響する。より良いとされるのは、木目が細かく均等であるものということ。木の木目は、幅の広く白い夏目と狭く色の濃い冬目に分けられる。木目がよく見えるのはこの二つが連続しているからだ。この差は木の成長速度に比例する。夏は成長期なので、木目の幅が広くなり、冬はほとんど成長しないから狭くなる。つまり、いい音色を奏でるヴァイオリンに必要なのは、夏にあまり成長しなかった木ということになる。では、成長が緩やかな夏とはどういう夏なんだろうか?そもそもなぜ夏に成長が促進されるのだろうか?その答えは簡単だ。夏は太陽の恵みを受け暑い。植物は葉を生い茂らせ、太陽の恵みを一身に受けて健やかに成長する。逆に成長が緩やかになる夏は冷夏だ。誰もがその名前を聞いたことがあるヴァイオリンの名器、ストラディヴァリウス。その作者ストラディバリが生きていた時代は、小氷河期と言われるくらい寒冷な時期が続いていた。だから、彼が手にできた素材は非常に目の細かい最上の材質だったと言われている。もちろん、木目は年輪とも言われるように、一年に一つしか出来ないので、寒い夏が数十年続かないと、良い木はできない。その自然の営みが、名器ストラディヴァリウスを産むのに重要な条件の一つだった。
温暖化が続く現代、夏は暑く、冬すら温かい。これでは木は元気に育ち過ぎ、その木目をどんどん広げてしまう。このまま数十年この状況が続けば、ヴァイオリンに適した目の細かい木はどんどん少なくなってしまうだろう。地球温暖化がこんなところにまで影響するとは驚きだ。しかし、ここでふと気づいたことがある。地球温暖化の大きな原因の一つに化石燃料を燃やして出る二酸化炭素がある。二酸化炭素が空気中に増えると温室効果の原因となり気温が上昇する。しかし、植物がこの二酸化炭素を使って光合成をするのも事実だ。人間が木を伐採し、二酸化炭素を消費してくれる植物を減らしたことで、温室効果に拍車がかかっている。このまま人間が愚かな行為を続けるなら、その先に待っているのは人間の絶滅かもしれない。しかし、人間が滅亡か極端に数が減れば、温かい気候と豊富な二酸化炭素の中で植物は大いに繁栄する事だろう。そうして、人間が自らの首を絞めた地球温暖化の原因は地球上を覆い尽くす植物によって長い時間をかけて浄化される。そうして地球は再び美しい星に戻るのだろう。そうなる前に人間が本当の意味で気付けば良いのだけれど.....。
そういえば、化石燃料は後数十年で枯渇するとも言われている。そうすれば我々人間が燃やすものも無くなってしまう。地球温暖化の大きな原因が一つ自然と解決されてしまうのかもしれない。結局、人間の営みなんて地球の歴史の中では一瞬でしかない。地球はもっと大きく緩やかな時間の流れの中にいる。人類の時間とは次元が違うのだ。地球がちょっと身震いしただけで、滅亡の危機に瀕してしまうようなちっぽけな人間が「地球にやさしく」なんて、なんとおこがましいことなんだろうかと思う。

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2010年6月 3日 (木)

ホリュームを変えれない人がいる。

今朝の通勤時、乗り合わせた地下鉄の中、それこそ車両の端まで届きそうなくらい大きな声で「普通」にしゃべる若者がいた。彼は別に大声ではしゃいでいる訳じゃない。ましてや、朝の電車なので、酔っ払って制御が効かなくなっている訳でもない。ただ単に地声が大きいだけだ。話している内容もいたって普通の日常会話、別に熱がこもって盛り上がる内容でもなさそうだ。周りの雑音が大きく、話し声が聞き取りにくい状況でもない。では、なぜ、彼の声はこんなにもでかいのか?彼にとってこの声量はいたって普通、特に大声を出している意識はなさそうだ。もしかしたら、彼は何か耳に障害を持っていて聞き取りにくく、その影響で声が大きくなってしまうのか?とも考えたが、一緒にいる友達らしき人物の声はいたって普通で、その声が聞き取りにくいというようなそぶりも無い。やはり、ただ、地声がでかいだけだ。そんな彼が酔って騒ぎ出した時はどうなるんだろうかと想像しただけで、同席したく無い。いやいや、同席することは無いだろうが、同じ店には間違っても行きたくない。思えば彼のように声の大きい人は世の中にもたまにいる。居酒屋でけたたましく大声で笑う輩に遭遇することもしばしばだ。そんな彼等は、どうしてそんなに声がでかいんだろう?いや、どうしてそんなに大きな声でしゃべらなければいけないんだろうか?まるでローギヤでアクセルをいっぱい踏み込んでいるよう状況だ。少しギアを上げて、静かに走れば良いのに。結局のところ彼等はその時、自分が置かれている場というものに神経を馳せられない、周りの人の事を考えられない人種なのかもしれない。
小さい頃、大声を出したら、父親に「野中の一軒家じゃないんだから、もっと静かに喋れ、別に大声を出さなくても聞こえるから。」と窘められた事を思い出した。彼にはそう言ってくれる大人が周りにいなかったんだろうか?それはそれで不幸な事だ。
しかし、たかが声のでかい人物と遭遇しただけでこんな事を考えてしまう自分もどこか変なのかもしれないと反省。

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2010年6月 2日 (水)

リスクを怖がる社会は成長しない。

アップルの株価時価総額がMicrosoftを抜いて世界第一位になった。それはつまり、ホリエモンが目指した世界トップのIT企業になったという事だ。一時はライバルMicrosoftに援助してもらってどうにか存続できたほどの危うい経営状態がたったアップルが数年で、どうしてこんなにも成長できたんだろうか?そんなアップルの原動力になったのは、お家芸のパソコンではない。確かにそれまでの常識を覆すカラーバリエーションを持ったiMacや、先進的なOSXなど次々とヒットは出したが、パソコンシェアでは今でも微々たるもんだ。アップルをここまで躍進させたのは誰もが知っているiPodだろう。日本人として思う。なぜ、SONYは、iPodを作れなかったのだろうか?なぜ、iPadを作れなかったのだろうか?ウォークマンをヒットさせたSONYはどこに行ってしまったんだろうか?ウォークマン発売当時のSONYはまだ、後発の電器メーカーだった、市場は巨人松下を始め数多くの家電メーカーが制覇していた。そこに一石を投じるためには、リスクを背負った商品を世に送り出す決断ではなかっただろうか?その後のSONYの成長は誰もが知るところだろう。しかし、SONYはiPodを作る事が出来なかった。SONYほどの企業が技術的に発想的にiPodに行き着けないはずはない。事実、市場に投入はされなかったものの、研究開発はされていたと聞いた事がある。市販出来なかった理由は、トップが先を見る事が出来ず、リスクを負う決断が出来なかったからではないだろうか。ウォークマンを発売した当時のトップなら間違いなく決断できたろう。先進的な企業も二代目、三代目とトップが入れ替わるたび、リスクを恐れ、サラリーマンになって行く。サラリーマンが悪い訳じゃない。トップがサラリーマンではいけないだけだ。重大な決断であればあるほど、大人数では結論に至らない。人は集まれば集まるほど物事を決められなくなる。それは、今の政治をみれば一目瞭然だろう。やはりワンマンなトップが必要なんだと思う。
長い不況の中、テレビでは、最近の若者は安定思考で起業より公務員を目指すという。リーダーになりたい人が減っているという。たしかにそうだろう。でも、数年前の起業ブームは加熱しすぎていただけだとも思う。リーダーを目指す人が減っただけで、リーダー自体はそんなに減っていないのかもしれない。だって、そもそもリーダーになれる人なんてほんの一握りなんだから。

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2010年6月 1日 (火)

APS-Cと超広角レンズ。

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来週からのイスラエル旅行に向けて、超広角レンズを手に入れた。Canon EF-S10-22 F/3.5-4.5 USMだ。私の愛機Canon EOS7Dは、APS-Cなので、このレンズは前から手に入れたいと思っていた。デジー(でじいちと読む/デジタル一眼レフの略)を使っている人ならわかるが、このAPS-Cというのは、デジカメの心臓部CCDのサイズのことで、APS-Cは、35mmフィルムの約60%のサイズの映像素子。EOS 5Dはフルサイズなので、問題ないが、カメラの機構としてレンズを通した画像がカメラ内部で像をむすぶ大きさに変わりはない。したがって、APS-C(60%)の大きさだとフルサイズの中心部60%の像になり、まわりが削り取られて中心部が拡大されることになる。この結果、レンズの規格を表す50mmとか100mmとかというのを1.6倍ほどしたサイズになると理解しなくてはいけない。つまり、200mmの望遠レンズは、320mmほどになるということだ。原寸を50mmくらいと考えれば、200mmという4倍の望遠レンズが、6倍になる。望遠側だけを見るとなんだか得した気分になるが、広角になると話が違ってくる。24mmというワイドレンズが、38mmになってしまう。これでは広角の効果が薄い。そこで、より広角なレンズが必要になってくる。今回購入した10-22mmのズームレンズは、広角側が16mmになるので、やっと本来の広角らしい絵作りができる。
この新しい武器で、広大な風景を撮ってこようと思っている。今月末にはこのレンズで撮ったイスラエルの風景をどんどん発表していきたいと思います。乞うご期待!

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