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2012年2月13日 (月)

能舞台の前にある、あの階段って?

Kokushikijo

今年になって、先生よりお許しが出て、黒式尉を打てることになった。個人的に能面の中で尉面(平たく言うとおじいさんの面)にはあまり興味を持てないのだが、これだけは、いつか打ってみたいと思っていた能面のひとつだ。また、今年はタイミングよく1月9日に観世能楽堂で行なわれた「翁」を観る機会に恵まれた。中でも野村萬斎氏の三番叟は、全く古さを感じさせないというか、新しささえ感じさせる素晴らしいものだった。今までも何度か三番叟を観る機会はあったが、それらとは全く違う、どんな言葉もってしても言い表せないくらいの感銘を受けた。さすが!としかいいようが無い。その三番叟で使われる面が黒式尉だ。
すでに粗彫りを始めているが、この面、さらには「翁」について調べてみたら、いろいろ面白い話が引っかかった。面打ちの話の前にそれらをまとめてみたいと思う。例によってところどころ私の推測や解釈を交えていくので、すべてが正しいかどうかの補償はできないのであしからず。

この黒式尉、「翁」という演目で使用される面だが、他の能面とは大きく異なる特徴を持っている。一目瞭然!数ある能面の中で、この黒式尉と白式尉だけが可動式の面であるという事。つまり、口が割れていて動くのだ。そもそも能は、徹底的な引き算で動きや表現を最小限にし、観る側の想像力を引き出すという芸能に仕上げられている。説明的なものを可能な限り省く事で先入観をなくし、想像の幅を広げられるようにしている。だからこそ、あの狭い能舞台の上に、千尋(せんじん)の谷が現れたり、大海原が広がったり、絶海の孤島を観ることができるだ。したがって、観客ひとりひとり観ている情景が違うのだと思うと能楽の奥深さを感じる。そう考えると、口が動くという演出は、本来、能楽が目指したところとは違う。

「翁」は、「能であって、能でない。」と言われる事もある特殊な演目だ。今でこそ能楽の中に取り込まれて語られるが、「能」「狂言」「式三番(翁)」と分けて語るべきもので、その性格は大きく違う。「能」がある種の物語を演じるのに対して、「翁」には物語がなく、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祝祷する神事の性格が強い。能が成立する前に農村などで行なわれていた翁猿楽の様式を残しているという説がある。現在は、「翁」を能楽師が、「三番叟」を狂言方が勤める。つまり、三番の内、二番しか演能されないが、式三番にはもうひとつ「父尉(ちちのじょう)」というものが存在したらしい。この「父尉」、能楽が世阿弥によって確立される際に省かれたものらしいので、「能」としてはそもそも無かったものになっている。今となっては演能される機会も無い「父尉」だが、なぜか面だけは伝えられていて、今でも観ることができる。1月に開催されていた三井家の能面展でもいくつか展示されていた。

能は元々五番能という形で、朝から日暮れまで一日かけて行なわれていた。「翁」が上演される場合は、最初に行なわれる。(今でも「翁付き」という形で他の演目(目出たい内容)と組み合わせて行なわれる。)その始まりは、まず、能奉行が、能舞台の真ん前にある階段を上り、舞台を横切り、橋懸かりから幕に向かって「お能始めませい」と言って、再びあの階段を使って元へ戻る、そして、能が始まるという段取りだったらしいが、今では能奉行もいないし、あの階段が使われる事は無い。ちなみにあの階段は「階(きざはし)」と呼ばれる。この階(きざはし)、今は使われる事が無いが、役者にとっては意外に都合のいいものらしい。というのも、ただ階段が付いているのではなく、その両端の突起が舞台の上に突き出ているため、面を付けて視界の悪い状態でも、舞台の先端、中心が計れるという恩恵があるようだ。

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