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2012年1月11日 (水)

小面(ほぼ)完成!ー汚しについての考察。

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かれこれ4年ほど前に打ち出した小面が、やっと完成を迎えようとしている。途中、小べし見、小飛出、黒髭と数々の浮気をしていたにしても、あまりにも時間がかかり過ぎた。私自身小面は、これが二面目、一面目は右も左もわからず、ただ、闇雲に掘り進んだが、この二面目は彫りの段階で迷いに迷ったため、こんなにも時間が経ってしまった。知るという事は、同時に迷いも生じるもの、どんな道でも同じなのだと思う。迷いが吹っ切れたのか、あるいは何かが掴めたのかは、まだわからないが、とにもかくにもほぼ完成。

【汚しについての一考察】
今回、彫りの段階では迷いに迷ったが、彩色は意外に順調だった。ただ、完成を間近に控え、おぼろげな疑問がわいてきた。そもそも面打ちは「うつし」の世界、この「うつし」に関しては以前にも触れたので割愛するが、江戸時代以降、スタンダードになり得る新面は作られていない。現在使用されている能面は、世阿弥の時代、すでにそのほとんどが完成されている。その後の数百年は、ひたすらそれらのうつしが作られてきた。その過程で研究・研鑽され現代に至る。江戸時代の能面師がどのような考えで打っていたのかを知ることはできないが、現代の面打ちでは「汚し」が一般的だ。

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■面紐用の穴は、使い込まれて彩色が剥がれ木肌がすり減った状態を再現する。


この「汚し」という技法、簡単に言うと出来上がったばかりの能面を数百年前の「本面」に近づけ、古く見せるということに他ならない。要は、本面の持つリアルさ(?)を表現するということだ。これは、プラモにサビやキズ、質感を与えて制作する事に似ている。鉄道模型や戦争もののジオラマで臨場感を出すために行なう。ガンプラの改造など、そろそろ職人技・芸術の域に達しようという勢いだ。個人的にはこの過程がとても楽しい。ところで、これら模型制作で追求するリアルさと、面打ちの汚しで目指すリアルさには若干の違いがあるような気がする。模型はミニチュアなので、実物の大きさが感じられるようにしたり、実際の戦場や風景の中で、現実よりもリアルな印象を受けるように制作する。そもそもプラスチックという素材を鉄に見せたり、木に見せたり、水、土、革、布、とにかくそのものが置かれた現実世界(あるいは仮想現実)のリアルさを目指す。

では、面打ちはどうだろうか?

面打ちで目指すリアルさとは、現存する本面だ。舞台上で演じられる登場人物のリアルさではない気がする。確かに、本面のその先には、演じられる人や霊、神々の現実があるが、自分は今までそこを見ていなかったような気がする。では、本面が作られた時はどうだったんだろうか?圧倒的な存在感や肉感においてリアルさは追求され尽くしたろうが、経年変化によるキズや汚れは付けられていなかったように思う。とはいえ、つるんときれいにも作られていなかっただろう。そういう能面は舞台上で浮いてしまいシラケてしまう。「汚し」とは、長いうつしという歴史の中で、本面の持つ現実をうつすということで、本面を通して舞台上のリアルさを目指すものなのかもしれない。

とはいえ、キズや汚れを付ける事が本当に正解なのかはわからない。少なくとも、今の自分はその点を疑問に思いだしている。本面をリアルにうつすのではなく、本面が持つリアルを、舞台上でのリアルをどうすれば能面で表現できるのか、今後は、そのことを考えていきたいと思う。

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■遠くからは見えないが、眉から、生え際の産毛まで表現している。

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■上の写真とは少し角度が違う。これだけで、表情が妖艶に変わる。


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