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2010年7月30日 (金)

死海へ。

イスラエル旅日記、再開です。暑いけれど空気が乾燥していて意外に爽やかだったイスラエルに比べて、日本の夏はやり切れない蒸し暑さ。おかげでブログの更新も滞っておりました。

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さて、ひととおりエルサレムを観光した後は、いよいよ死海です。海抜-420m(マイナスです)塩分濃度33%の文字通り死の海へ出かけました。写真は海抜-250mの標識。残念ながら-420mの標識は撮れませんでしたが、このようにゆるやかに地球の臍までどんどん下っていきます。

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途中、まず立ち寄ったのは要塞都市クムラン周辺。ここは、20世紀最大の発見といわれる「死海文書」が発掘された場所です。ご覧のような荒涼たる風景。草も木もない場所に点在する無数の洞窟。1947年から1956年にかけて、11の洞窟からヘブライ語聖書の断片を含む約850巻の写本が発見されました。死海文書が書かれたのは、紀元前200年頃、今から2200年前のここは、いったいどんな風景だったのでしょうか?

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当時の人々の生活がうかがえる住居跡も残されています。現在は水も無い荒涼とした土地ですが、当時は水もあったのでしょうか?住居跡には大きな浴場もあり、人々はとてもきれい好きで、毎日水浴びをしていたようです。高地のエルサレムとは違い、このあたりの日差しはとても強く温度も高い。海抜-420m、海より420mも低い場所、遠くに見える山すらも海面よりは低いという事実が、なかなかリアルには受け止めがたく、まるで違う星にでもきたような感覚です。おそらくは直接太陽光があたる場所では地球上最も低い場所ではないかとも思えます。そのせいか太陽の光もいつもと違って感じられます。

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次に立ち寄ったのは、En Gedi(エンゲディ)、オアシスです。生活環境が厳しいこの地方では、水がある場所に様々な木々や動物が集まります。(もちろん人も観光客も)ここはそういうオアシスのひとつ。乾いた大地にひとしずくの水を求め、水着を持って車を降りました。

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入り口はこんな大きな茅葺き(茅?)屋根。ここで入場料を払って、水のある場所まで歩きます。途中、名前は知りませんが小動物の親子、無数の蝶、鳥の声に迎えられながら、まさにオアシスと、ひたすら水辺を目指します。

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目の前に見えてきた小さな滝、後はもう、カメラを置いて、ただひたすら子どもに戻って、愛しき水の中へ!もはや、写真なんか撮ってる場合じゃない!ってことで、写真はありません。(実は、入り口からこの水辺まで、意外に遠くて、日陰の無い灼熱地獄を歩いてきたので、もう、我慢の限界でした。)
さて、いよいよ次回は死海に到着です。

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2010年7月16日 (金)

エルサレム旧市街とイエス・キリスト【3】

さて、いよいよ聖墳墓教会です。その前に、イエス・キリストが十字架を背負い歩いた道を少しだけ歩きます。全部歩くと大変なのではしょりました。この道は、ヴィア・ドロローサといわれ、旧市街イスラム教徒地区からキリスト教徒地区へ続くおよそ1キロの行程です。途中、聖書の記述に基づいて、14留の印が付けられています。まずは三番目、イエスが十字架の重みに耐えかね、最初に倒れた場所です。建物の壁に黒い半球とプレートが取り付けられており、黒い半球には【III】の数字が刻印されています。下に立っている兵隊さんは、ここを守っている訳ではありません。たまたま、ここで休憩(?)していたようです。エルサレムに限らず、イスラエルではあちらこちらに兵隊さんがいます。高校を卒業すると例外無く、男は3年、女性は2年の兵役義務があるからです。我々が町中で見かける高校生がみんな兵士だったらどんな風景になるかを想像すればわかりやすいかもしれません。(もちろん、皆が町中に出ている訳ではないので、そんなには多くないですが、イスラエルの日常的な風景です。)話を戻しましょう。ちなみに【I】は、イエスが死刑判決を受けた場所、【II】が、十字架を背負わされた場所です。

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第四留【IV】は、イエスが悲しむ聖母マリアと会った場所です。

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続いて第五留【V】では、キレネ人のシモンがイエスの代わりに十字架を背負わされた場所です。その時、嘆き悲しむエルサレムの夫人達に、イエスは、「私のために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣くがよい。」と言った場所だとされています。

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第六留【VI】は、ベロニカという女性がイエスの顔を拭いた場所。その布にはイエスの顔が浮かび上り、「ベロニカのベール」として後生に語り継がれる事になったそうです。この道の両側には常にアラブやイスラムのお店が建ち並んでいます。その要所要所に突然サインが現れます。特に飾り立てる訳でもなく、ただ、地名看板のようにヴィア・ドロローサのサインが壁に取り付けられているのみです。もっとよく物語を知っていれば感慨深く歩けるのかもしれません。

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さらに第七留【VII】、ここはイエスが2度目に倒れた場所です。

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さて、ここらでヴィア・ドロローサを外れて、聖墳墓教会に向かいます。人通りが多かったので、ちょっとショートカット。教会の上(屋上?)を渡ります。あまりに建物が入り組んでいるためこんなこともできちゃいます。なんとなく街全体がひとつの建物と化しているような不思議な感覚。

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いよいよ聖墳墓教会。

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中に入ってすぐ、あまりにも突然現れた荘厳な風景。それもそのはず、ここは第十一留と十二留が隣り合っています。写真は第十二留。イエスが十字架につけられ息を引き取った場所です。真ん中下にひざまずいている女性がいるそのすぐ前が十字架の立てられた場所です。敬虔な信者はそこにひざまずき、キスをしています。行列に並べば、それを間近に見られますが、キリスト教徒でもない私が物見遊山で列に並ぶのは敬虔な信者の方々に失礼だと思い、遠慮しました。この場に立ちこめる空気を感じられただけで十分です。

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教会の中は、こんなに複雑で入り組んだ造りになっています。もともとはゴルゴダの丘、その上で、イエスの足跡を覆うように建てられたからなのでしょうか?

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つづくこの場所は、一畳ぐらいの石の板が置かれています。ここは、十字架から降ろされたイエスの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフが遺体を香油で清めた場所です。その後、亜麻布に包まれます。これはユダヤ人の埋葬の儀式だそうです。

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その時の様子が、壁画に描かれています。

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そしていよいよ最も神聖な場所、第十四留、最後の留、教会の中に建てられた特別な聖堂。そうです、ここがイエス・キリストの死体が安置された場所。この聖堂の中にイエスの墓があります。中にも入れるのですが、先の場所と同じく、私が信者の方々を差し置いては申し訳ないと思い、入りませんでした。

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イエス・キリストが埋葬された場所ということは、ここがイエスの復活した場所でもあるのです。天井から差し込む光が、天上からの神々しい光に見えてしまいます。

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2010年7月15日 (木)

エルサレム旧市街とイエス・キリスト【2】聖地巡礼

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もしかしたら、旧市街、いや、エルサレムという土地を語る上で最も象徴的なのがこの風景かもしれません。手前にある壁が「嘆きの壁」その上に建っているのが「岩のドーム」、いろんな意味でここがすべての始まりといえるんじゃないでしょうか。そもそもソロモン王がこの地にエルサレム神殿を建てたのが紀元前965年頃、しかし、その神殿は、新バビロニア王ネプカドネザル2世により、ユダヤ人をバビロニア地方へ捕虜として連行し移住させたバビロン捕囚の際に破壊されました。(もしかしたらこれがユダヤ民族最初の悲劇なのかもしれません。)その後、紀元前515年頃に再建され、さらに紀元前20年頃にヘロデ王によって改築されました。ちょうどこの時期にイエスも神殿を訪れたらしいことが聖書にも記載されているようです。
残念ながら、ユダヤ民族の繁栄も長くは続きません。西暦70年に、今度はローマ軍によって完全に破壊されてしまいます。その時、かろうじて残ったのがこの神殿の西壁でした。その後、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りを禁止されてしまい、300年後の4世紀になって、やっと1年に1日だけ立ち入りが許されるようになります。その時、ユダヤの人々はこの西壁に向かい、祖国の復興を祈りました。いつのころからかこの壁は「嘆きの壁」と呼ばれるようになります。もちろんこの名称は、他人が勝手につけたもの。ユダヤの人々は「西の壁」と言うそうです。後の時代にここを訪れた外国人が「ユダヤ人が嘆く壁」と表現したことから現在に至っているようです。(もちろん諸説ありますが)

ユダヤ人の悲劇はさらに続きます。7世紀に入るとパレスチナ地方全体がイスラム教徒のものになり、神殿の丘も、もちろん、その支配下におかれます。ムハマンドがある岩から昇天したとされ、691年にその岩を中心にして「岩のドーム」(写真上)建設されます。こうしてここはイスラム教の聖地にもなってしまいました。結局、ユダヤ人がエルサレムに入れるようになったのはごく最近の事、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが旧市街を含む東エルサレムをヨルダンから奪うまで、西暦70年のローマ軍に神殿を破壊されてから、実に1900年ぶりで、やっとユダヤ教徒が自由に礼拝できるようになったのです。それでも、今もこの「岩のドーム」周辺にはユダヤ人は入れません。

ここで流れた3000年の歴史、その内1900年間のユダヤ人の祖国復興への執念、政治的、宗教的な確執、それらすべてをこの風景がものがたっているように思えてなりません。イスラエルとハレスチナ、ユダヤ教とイスラム教の確執は、今なお収まる所をしりません。わずか200年ほど前に建国したばかりのアメリカなんぞが、和平のための調停に乗り出した所で、到底収まるようには思えません。訳知り顔で、イスラエルはわがままだ、パレスチナがかわいそうだとか、他人が簡単に口にできる事ではないと思い知りました。聖地の上に聖地を積み上げてしまった光景、もはやどうしようもないこの光景が物語るものはいったい何なんでしょうか?人の業(ごう)の根本を突きつけられたような、やり場の無い思いが残ります。

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2010年7月14日 (水)

エルサレム旧市街とイエス・キリスト【1】

最近、忙しさにかまけてブログの更新が滞っておりました。イスラエル編再開です。
エルサレムは、誰もが知っているキリスト教の聖地。ユダヤ教とイスラム教の聖地でもあるから三つ巴でややこしい状態になっている。しかし、この3教、そもそもユダヤ教から発生したものであり、エルサレムを繁栄に導いたダビデ王に繋がっていく。だから聖地が同じなのもしょうがない。だったら、なんで互いに牽制し合い、戦うのか? 元は同じでも袂を分かったことにより、かえって確執が深くなってしまったという事か?結局、相手を認められなかったから袂を分かったのであり、違う思想で各々の価値観を形成していってしまったのだから、今更互いを認め合う事はできないのかもしれない。その年月が2000年を超えてしまった今となっては、時間が解決してくれるような事でもなさそうだ。

さて、この日は、エルサレムの旧市街の観光。
まずは全貌をおさらい。中心に見えるのが、ソロモン王が建設したエルサレム神殿跡。ここに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のもっとも大事な場所がある。それぞれ、嘆きの壁、聖墳墓教会、岩のドーム。聖墳墓教会はコンスタンティヌス1世は325年頃にイエス・キリストの磔刑の場所に教会を建てるように命じて建設されたもので、ここに「ゴルゴダの丘」があったといわれている。

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暑い日差しを避けるように、まず、入った小さな部屋。まるで通路の間の控え室のような小さく質素なた佇まい。暑い暑いと日陰の涼をとるのにちょうどいい。エルサレムは空気が乾燥しているので、日向は暑いが日陰は涼しい。しかも石造りの建物はひんやりしていて気持ちがいい。そんな事を考えていると、ガイドのおじさんが、「この部屋は、最後の晩餐が行われたといわれる部屋です。」とあっさり。「えっ??」と驚く私。しょっぱなから、食前酒も無くメインディッシュが出たようなものだ。ここはエルサレム、すべてがメインディッシュのような街なので、驚く方がおかしいのかもしれないが、それなそうと入る前に言って欲しかった気もした。それにしてもダ・ビンチの壁画とはずいぶん印象が違うなぁと思いつつあたりを見渡す。天井のアーチは美しいものの、やっぱり、ちと殺風景な小部屋に変わりはない。ガイドさんの説明によると、そもそもエルサレム神殿にはダビデ王が埋葬されている。この部屋も、その上に建てられていることになる。イエスもユダヤ人なので、ダビデ王の墓所の上に足を踏み入れる事はありえない。となると、ダビデ王の墓所ということか、最後の晩餐の部屋であるということのどちらかが本当ではないことになってしまう。とはいえ、各々そう言い伝えられているので、細かな事は言及しないことになっているらしい。なんとなくこの辺のおおらかさが、日本人に似ていなくもないと思う。

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つづいてマリア永眠教会へ。精巧なモザイクで描かれた壁画や床など眼を見張るものばかりです。

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床には12宮の美しいモザイク。その上を歩くのが申し訳ない感じ。しかし、礼拝用の椅子が置かれているので、こっそり少し移動させていただいて撮影。

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これは、私の星座、牡牛。

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水瓶座も美しい。

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中でも私がもっとも眼を奪われたのがこのモザイク。まるでイエスが浮き上がっているように見えるリアルな絵はすべて細かなモザイクで描かれています。この絵の前でしばらく動けなくなってしまいました。

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さあて、いよいよ次は聖墳墓教会です。そのまま書き続けたい所ですが、長くなってしまいますので、続きは後日。最後にマリア永眠教会の安らかな天井をどうぞ。

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2010年7月 8日 (木)

華麗なる朝食。

4日目の朝。
昨夜は、イスラエルに来て初めてのホテル泊。場所はテルアビブ。エルサレムと違ってここは海岸地帯。国際的に認められているイスラエルの首都(イスラエル人はエルサレムが首都だと主張している。なんだかややこしい。)ということもあって、都会です。海に近く、道路は舗装されていてビルが建ち並んでいるので、気候はなんだか蒸し暑い。それでも、海が見えるホテルは素敵。

とりあえず、昨日の日没後の写真を何枚か。

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朝起きて、まずは腹ごしらえ。指定されたホテルのレストランに行く。ワンフロア丸ごとって感じで3〜400席はあろうかというとても広いレストラン、いったい何人座れるんだろう?とか考えつつ窓際の席へ。朝食はビュッフェ、ホテル朝食の醍醐味だ。さぁ、何を食べてやろうかとお皿片手にひと回り....、ひと回り.....?いったいどこまで続くんだ?このビュッフェは?果てしない。こんなに豪華なビュッフェは、今まで見たことが無い。広いレストランの四方を一周するほどのビュッフェ。しかも朝ご飯。まちがいなくこれで三食だべられます。というか、最初に見たのを忘れてしまいそう!後で聞いた話によるとイスラエルのホテルの朝食は、だいたいこんなものらしい。そういえばこっちのひとは朝ご飯を大事にする。昼と夜は意外に軽い。
どんな少しずつ取ったところで到底全種類は食べられないだろう、いやいや、半分も食べられないとか考えつつ突入!

まずはサラダ関係、こんな感じがこの2倍は続きます。

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続いてチーズ。

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さらに続きます。丸ごと置いてあります。

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ご飯類が延々続きます。

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さらに続いて、ところどころで、こうして卵料理や炒め物をその場で選んで作ってもらえるところが4〜5カ所。シェフだけで10人近くいます。

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メインディッシュ。って朝からかぁ?

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いよいよフルーツです。

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パンだってこんな感じ。

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この後、デザート、ジュース類へと続きます。どう考えてもこれはフルコースだ!もう、お腹いっぱい。

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2010年7月 7日 (水)

イスラエルで見つけたちょっとアートなもの。

テルアビブの街角で見かけたちょっとアートなもの達。
どこに行ってもそうなんですが、マンホールのデザインに惹かれます。もちろん、日本国内でもたくさんの種類が使われていますし、観光地なんかに行くとご当地の素敵なものも多いです。というわけで、イスラエルものをひとつ。

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自然の切り株に施された猫の彫刻。古今東西、猫好きは普遍ですね。

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花柄自転車3台。黒地に白の花柄がお洒落です。

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これは秀逸!駐車場につながれた赤いライオン。これこそアートでしょう。

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2010年7月 2日 (金)

ハイファとカイザリア。壷猫。

やっと三日目。
今日は北へ向かいます。テルアビブを経由して、車で北上、フリーウェイを走る事3時間弱、地中海が一望できるハイファまでノンストップでいきました。私としては初めて見る地中海。とにかく海が青い空が青い。

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ここで有名なのは、19世紀に興ったバハイー教とその中心となるバハイー世界センター。隅々まで徹底的に整えられた広大な公園はそれこそ塵ひとつなく不思議にリアル感の無い場所でした。ある意味きれい過ぎ。ひととおり見て回った後、入り口付近でぼーっとしてると、ゲートの警備員のにいちゃんが、あんたは日本人か?と声をかけてきた。よくよく聞いてみると、今まさにロト(サッカーくじ)を買おうとしてるんだけど、日本ーカメルーン戦はどっちが勝つと思う?と聞かれた。それほど、サッカーには興味が無い私。当時の報道を考えると、日本は負けるんじゃない?と答えてしまいました。日本人が自国が負けると言うんだからと、きっとあの兄ちゃんはそう賭けたと思う。今考えると申し訳ない事をしたなぁ。

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ハイファには他に見たい所も無かったので、早々に出発してカイザリアへ。ここは、紀元前、ローマ軍が築いた港町。ローマ皇帝カイザルの名前からカイザリアと名付けられました。十字軍の要塞や、ローマ時代の円形劇場の遺跡が残っています。なにより、海に面したとても気持ちいい場所。自然と遺跡が上手に調和し、とてもロマンチックな場所になっています。というのも、ここはイスラエルの人々が、結婚用の写真を撮る場所。あちらこちらにウェディングドレスを着た女性とタキシード姿の男性が、プロカメラマンを2人くらい伴って様々なポーズで撮影しています。

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ここで可愛い猫さんを。壷の中でくるりと丸まって眠る姿は、文字通りとてもハマっていました。白い壷と黒い猫のコントラストが美しい。

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2010年7月 1日 (木)

エルサレム光のイベントと地下の歴史。

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二日目はまだ続きます。それにしても長い一日です。この夜は、エルサレムで行われる光のイベントのオープニングに出かけました。写真はその特設会場。ここは元々エルサレムの水をまかなうための貯水池だったそうです。水道が整備され必要がなくなったので、水は流され、現在は巨大な窪地になっています。不思議なことに、ここだけとても寒い。半袖で出かけた私は、オープニングのコンサート中、ずっと震えていました。途中、どうしても寒さが我慢できず、席を立ってしまいました。しかし、この場所、なんだかインディージョーンズのセットの様な雰囲気です。
常にテロの危険を意識しているイスラエルでは、こういう人の集まる場所への入り口で厳重なセキュリティチェックをされます。観光者の私も例外ではなく、荷物は全部開けて覗き込まれ、金属探知機でボディチェック。さらに、ゲートで、なにやら質問され、きょとんとしていると、同行した人に「NOと言いなさい。」と言われ、分けもわからず「ノー」。ゲートのにいちゃんは怪訝な顔をしながらも入れと促す。もちろん肩には自動小銃。後で教えてもらいましたが、彼の質問は「銃は持っているか?」というもの。そんなストレートに聞くんだ。と、あらためて驚き。イスラエルでは町中に自動小銃を持った若者達が溢れていて、日常の風景と化していますが、銃を携帯していいのは、警官と軍隊だけ、一般の人の銃の携帯は許されていません。
わからない言葉で質問されると、なんとなく「イエス」と答えてしまう人は要注意です。

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オーケストラと光の祭典。

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ソロモンの宮殿と、旧市街のあちらこちらに光のオブジェが置かれ、様々なイベントが行われていました。午前0時を過ぎても、街には人が大勢でています。

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秀逸なのはこのサイン。街のあちこちに様々な色の光のロープが張り巡らされています。実はこのロープ、町中のイベントをつなぐ光の道になっています。地図に書かれた色と同じ色の光を追いかけていくと迷う事無く目的の場所にたどり着けます。事実、ほとんど地図は見ないでもれなく楽しめました。

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下を見ても上を見てもいたるところに光の演出が施されています。ひとつひとつがお金をかけた豪華なものではないですが、とても上手にセンスよく仕上げられています。まるで宝物を拾い集めていくように時間も忘れ次から次へと歩いていきました。

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光の道はこんな所まで続きます。エルサレムの旧市街の地下には、広大な地下道があります。エルサレムは、歴史上いくつもの都市が上に上に重ねられて今に至っています。少し掘るだけで千数百年前の街が現れます。右の写真は、キリストが生きていた時代のマーケット後です。道の両側に写真のような柱が立てられ、その奥に様々なお店が並び賑やかな大通りだったようです。おもしろいことにこれらすべてを発掘してしまうとエルサレム全土が遺跡地帯になってしまい、日常生活ができなくなってしまいます。そこで、半分だけ発掘し、残りは埋まったままにするという、めずらしい都市計画がされています。人々はこの地面の下に悠久の歴史が眠っていると感じながら生活を営むのです。

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