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2010年5月 2日 (日)

良い人がトップになると国民は苦労する。

先日、「たけしのTVタックルに」麻生前総理が出演していた。番組を観ていくうちに私の脳裏に浮かんだのは、「ひょっとしたら、この人が総理を続けていた方が今よりマシだったかもしれない。」という思いだった。確かに、今の鳩山さんは良い人だ。いや、良い人そうに見える。いやいや、みんなに良い顔をしたい人なんだと思う。「友愛」という旗印の元、全ての人が幸せに、生きたいように生きていける平和な世界を作りたいという綺麗ごとを、もしかしたら、この人は真剣に実現可能だと信じているんじゃないか?と思えてしまう。経済や様々な問題が、安定している状態ならば、それでもなんとかなるかもしれないが、現在の情勢では、いわゆる「苦渋の決断」を迫られる局面は多い。誰にでも良い顔をしたい人に、そんな決断できっこない。頑張っている姿を見せていれば、誰もがわかってくれる。と誤解しているのもおかしい。政治家に求められるのは結果だ。陰でどんなに努力してようが、まったくちゃらんぽらんにしてようが、結果さえともなえばどちらでも良い。良い結果は、結局、国民を幸せにしてくれるだろう。多少裏で悪いことをしていても、そんなことは必要悪として理解しても良い。まったく文化や思想のことなる諸外国相手にタイマンをはる以上、きれいごとだけじゃやっていけないのはよくわかるし、わかってあげるべきだ。
みんなを幸せにしたい、不幸になる人を作りたくない。とても立派で、素晴らしい理念だが、その尺度を誰かが決めることなどできない。人は、それぞれ幸せのものさしが違う。だからこそ、微妙なバランスを保って社会が形成される。価値観が違うから、うまくいく。パン好きな人が持っている米と、米好きな人のパンが、交換できればお互い幸せになれるだろう。みんなにパンを配っても、米だけを配っても、皆が幸せに感じる訳ではない。それぞれに配るのは大変だからいっそのこと両方を配ってしまっては、財政がもたいないし、大いなる無駄が出る。幸せと感じる温度差があるのだから、同じ政策ですべての人を満足させることなどできるわけがないのだ。「国民との約束だから。」とそればかり気にしていると、何も前には進まない。状況も国民の心もたえず変化している。それに対して臨機応変に対応できる柔軟性が必要だ。普天間の問題も、ご大層な理想を掲げたのは良いが、結局、元の木阿弥。騒がせた分だけ収拾がつかなくなっている。こんなことなら、寝る子は起こさず当初の合意のまま粛々と進めればよかった。人は問題提起に価値があるというかもしれないが、結局解決できなければ良いことはひとつもない。

やはり、良い人が政治をやるとろくなことは無い。鳩山さんしかり、古くは村山さんしかり。やっぱり政治家は少しぐらい悪いやつじゃないとうまくいかない気がする。良い人はみんなにいい顔をしようとするから、結局何もできやしない。民主主義国家の国民すべてが必ずしも善良で賢明なわけではないから。

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