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2010年4月26日 (月)

無責任な大人の発言は結構大事な気がする。

先日、友人たちと話していて、自分がなぜ今の職を選んだかを考えてみた。もちろん、今の私の職は天職だと思っているし、毎日が充実し、楽しくて仕方が無い。時に苦労もあるがそれもひっくるめてこのデザイナーという職を選べたことに感謝している。私がデザイナーになりたいと思ったのは、中学生の頃。子供の頃から絵を描くことが好きだった私は、おぼろげにそういう方向に進むんだろうと考えていた。とはいえ、学校の美術の授業で水彩画なるものがめっぽう苦手だった私にとって画家という道は考えの中に無かった。漫画が好きだったから、漫画家という道も考えなくもなかったが、根気が続かない私のこと、まともに一作どころか一話分もかけないと思った。そもそも絵を描くことが好きなのと、漫画が描けるのは別物だと今となっては思う。とはいえ、なんとなくその意味もわからずデザイナーになりたいかも?と思った私は、それでも中学時代は、どうしたら良いかわからず、その備えとなるようなことはしていなかった。しかも、今のグラフィックではなく、インテリアデザイナーとか勝手に思っていた。自分の部屋のことすら考えたことも無かったのにだ。そんな私にある方向を示してくれたのが、身近な大人からの「たっちゃん、絵、好きなんやったら大阪芸大に行ったら?」という今考えればあまりにも無責任な発言だった。
思えば、絵を描くようになったのも、きっと「たっちゃんは、絵がうまいなぁ、絵描きになったらどや?」とか「絵の才能あるんちゃう?おいちゃんにはわからへんけど。」とかいう周りの大人の無責任な発言によるところが大きい。多かれ少なかれ、子供は大人の発言に影響を受ける。そうして、無限にある選択肢の中からいくつかが選べるようになり、さらに、自分にとって何が一番良いのか考えることができるようにもなる。誰しも、無限の海原に放り出されて、「さあ、どこに行くのもあなたの自由よ。行きたいところにお行きなさい。」と言われたからって、決められるもんじゃない。ましてや、その先に何があるのか想像もつかない無知な子供に出来ようはずもない。もしかしたら、私が「デザイナー」という言葉を知ったのも、「たっちゃん、デザイナーになったらどうよ、おばちゃん、デザイナーが何する人か知らんけど。ほほほ。」のようなとっても無責任な言葉からだったかもしれない。
こんな感じで、昔は、親戚の大人や、近所の大人、場合によっては親も、無責任に子供の将来を語ってくれた気がする。そんな「無責任」な言葉をかけてくれる大人が、今は少なくなったんじゃないだろうか?皆が自分の言動に「責任」を必要以上に取らなければいけないような危機感を抱いて、何も言えなくなっているような気がする。子供にとって無数に浴びせかけられる大人の発言のひとつが、その子の人生を左右してしまうことなどそんなに多くないように思う。多くの言動の中から選ぶのは、子供自身だ。ただ、かけられる言葉が少なければ話は別だ。選択肢が少なければ、選ぶことができない。結果、大人の敷いたレールの上を無理矢理歩かされるような間違いを冒すことになる。それが親の言うことならなおさらだ。大人が真剣に考えれば考えるほど、子供に指し示す方向は狭くなる。今の先行き不安な世の中じゃ「公務員」など「安定した就職先」となってしまうだろう。そう言っておいて、今の子供たちには「夢」が無い。などと、よくも言えたものである。

もしかしたら、本当に子供たちのためになるのは、近所のおばさん達や、親戚のおっちゃんの「とっても無責任な発言。」なんじゃないかと思う。

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