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2010年4月19日 (月)

クジラとニワトリはどちらが可哀想なんだろうか?

日本の養鶏で大半を占める種、ホワイトレグホン。このニワトリは高品質の卵をよりたくさん生めるよう高度な技術を結集して作り上げられた。卵を生むことにかけては、最も高性能なニワトリだ。その数、年間300個。この性能は通常のニワトリの15倍にあたる。文字どおり卵を生む力を極限まで高められた精密機械、あいはF1のようなものだ。ひとつのタマゴを体内で作るために要する時間はおよそ25~26時間、現在、もっとも多くの蛋白質を作り出せる生物といっても過言じゃない。そんなホワイトレグホンもまだまだ完成されている訳ではない。アメリカの研究所で日々その性能は高められ続けている。ただし、その生産能力は限界に近い。これ以上の数を生産させるには種として不可能な高みまで性能がチューンアップされてしまっている。そこで、現在は、世界各国の国民性や好みに合わせた品質を産み分ける研究が重ねられている。黄味の大きいもの、殻が割れにくいものなど多岐に渡る。日本人は、黄味が大きく色鮮やかで、割ったとき、黄味の高さが高く味の濃いものを好む。そういう人間の勝手な嗜好に合わせるべく、日々ローカライズが行われ続けている。さらにそうして出荷されたホワイトレグホンは、日本で他の品種と交配させられ、例えば、タマゴかけご飯用のタマゴのように、より、細分化されている。いつか、オムレツ用や、すき焼き用、関東風玉子焼き用や関西風だし巻玉子用なんていうのも店頭に並ぶかもしれない。
果たして、人間はそこまで自らの嗜好に合わせ生命を最適化させて良いものだろうか?捕鯨の是非を論じる際に家畜が引き合いに出されることがある。クジラは自然に生きているから獲ってはいけないが、家畜はそもそも、人間が食べるために飼育しているものだから、可哀想ではないと。
どちらも人間のエゴで、かたや絶滅の危機に貧しており、自由で自然な保護運動が起こり、もう一方は、もはや自然界はあり得ない生物としての限界を超えたチューンアップが施され続けている。

果たして、クジラとニワトリでは、どちらが幸せなんだろうか?
どちらが可哀想なんだろうか?

そもそも、人間にそれを論じる資格があるのだろうか?

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