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2010年3月31日 (水)

マヤゴノミ通販スタート!

Maiagonomi_015

「マヤゴノミ」ブランドのココロづけ袋が(DENDEN shop)にてwebで購入できるようになりました。左メニュー真雑貨の中に各種取り揃えております。(直リンクは以下から)
現在、このサイトと日本橋三越の店頭でしかご購入いただけません。この機会にぜひとも我々のオリジナルをご購入ください。

AWASE(赤白)
AWASE(ブルー)
AWASE(紫)

IRO-AWASE
TEFUTEFU

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新人類vs次世代人。

「求められるものが変わってしまった。」

100年に一度の不況は100年に一度の就職氷河期を招いてしまった。市場最低レベルの就職率、若者たちは「新卒」ブランドを持ち越すために希望留年したり、専門学校に再入学したりと、切羽詰った最終手段すら考えなくてはならないような危機敵状態におかれている。
かと思うと、雇う側からは「良い人材が見つからない。」「募集をかけても応募者が集まらない。」という悲鳴に似た声も多く聞こえてくる。この戦後最大のマッチングのズレは一体どこからくるのだろうか?企業や教育の現場の最先端では、次世代の人材を生み出そうと、より若年層からの教育方針の変革を考えている。そこから聞こえてくる声は、今までの常識と異なるものだ。私は専門家ではないので正しいかどうかはわからないが、キーワードは「自分で切り開く力」のような気がする。
戦後最大の不況で様々な常識や価値観が崩れ去った。もはや企業が求める人材は、会社に隷属しひたすら勤勉に働く真面目な人物では無い。夢を持ち、現実を的確に分析し、自ら行動を起こして行く人材だ。一部の教育機関は、そういう人材を育てるため既存の教育を受けて育ってきた大学生ではすでに遅い、より純粋な高校生、いや中学生からそういう教育をしていこうという動きがみられる。面白い事にそこで語られるのは、それこそ10年後、20年後の日本を変えて行くという自立した志と夢だ。そのためにこれから数年間続く学生時代に精神的強さと知識も技術も身につけていこうという意識改革のような気がする。なんとなく私には古き良き時代の教育思想に共通するものが見える。今年の大河ドラマ「龍馬伝」に代表されるように幕末や高度成長期の日本人の姿が描かれる番組が増えたのもその一端なのでは無いだろうか?
この取り組みが公を奏すれば、頼もしい人材が育ってくるかもしれない、日本の未来にほんの少し明るい兆しが見え始めたのではないかとすら思える。
ただ一つ問題なのは、この戦後最大の就職氷河期に直面している世代だ。彼等の後を追ってくる世代がそういう教育を受けた求められる人材だとすれば、彼等の将来は非常に厳しいものになってしまうだろう。お受験やゆとり教育という様々な試行錯誤の真っ只中で、紆余曲折し、方向を見失い「夢」を持ち辛い教育をされてきた彼等こそ被害者なのかもしれない。
ただ、被害者と諦めて待っていても、だれかが助けてくれる訳もない。追いかけてくる次の世代に負けないように自ら切り開いていかなくてはならない。これは、大変な苦行だ。だって彼等は家庭でも学校でも、競争し、自ら切り開いていくという教育を受けていないのだから。

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2010年3月30日 (火)

石神井公園ふるさと文化館開館。

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約3年も関わってきた石神井公園ふるさと文化館が28日にオープンした。設計は友人でもある武田有左さん。独創的で優れた意匠にはいつも驚かされます。
私が担当したのは館のロゴタイプと1階のグラフィック。中でも休憩ロビー壁面の麦畑は3m×5mの大作です。

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こういう地図も

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こういうパネル類も

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2010年3月29日 (月)

みょうにかわいいストライキ。

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バスの窓ガラスに貼られた、29日(本日)決行のストライキの貼り紙。小さめの紙がテープで斜めに貼られた様は、なんとなく可愛さを感じさせる。果たして今日、24時間ストライキは決行されたのでしょうか?(撮影は27日でした。)

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2010年3月28日 (日)

ヒットチャートに異変が起きている。気がする。

私はカラオケが大好きだ。昔はしょっちゅう行っていた気がするが、歳とともに、付き合ってくれる仲間が減り、たまに飲みに行ってもカラオケまで流れることは少ない。数少ない友人に無理矢理お願いして2、3ヶ月に一度くらいのペースで付き合ってもらっている。お酒を飲まない私にとって、飲み会後のカラオケは、できればセットにして欲しいと思うくらい大事なリクリエーションだ。とはいえ、ひとりカラオケにいく勇気も無いので、なかなかカラオケに行けない。
いやいや、今日書きたかったのは、カラオケに行けない愚痴じゃない。カラオケ好きの私は新曲を仕入れるため音楽番組をチェックする。流行りの歌がわかるヒットチャート番組は良く見るほうだ。そんな番組でちょっとした異変が起きている。いや、そう感じるのは私だけかもしれないが、なんとなくそんな気がする。それは、数年前に比べて、チャートの上位に演歌が多く目立つという事。たしかに氷川きよしがブレイクした時は、上位にきてたし、最近ではCMやSMAPの番組で火が付いた坂本冬美が上位にきているのは理解できるが、それだけではないくらい多くの演歌が上位にいる。長年そんな番組を見ていた私にとってこれはちょっとした違和感だった。そのどれもが、巷でよく耳にするほどヒットしているようには思えないからだ。元々演歌は根強いファンを獲得している。流行りに流されずコンスタントに売れるジャンルではあるが、若者主流の現代では上位に食い込む事は少なかったように思う。
この現象、若者たちが演歌に目を向けたのだろうか?それとも指示されるヒット曲が少なくなり、根強い演歌がその勢力を拡大してきたのだろうか?
なんとなく、自民党に魅力がなくなったから民主党が勝てた去年の政権交代を彷彿とさせる。
いや、そんな大げさな事じゃないかもしれない。たまたま今がそういうタイミングだけなのかもしれない。

それにしても、だれか、「私をカラオケに連れてって。」

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2010年3月27日 (土)

目が合っちゃった!

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日曜日、天気がよかったので、千鳥ヶ淵近くの公園まで、お弁当買って食べにいきました。満開の木蓮の下、おいしくいただいていると、一羽、また一羽と雀がよってきました。ざっと数えただけで15〜6羽。なんとなく申し訳ない気持ちで食べていましたが、ふと上を見上げたとき、目が合っちゃいました。

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2010年3月26日 (金)

「弾幕薄いぞ!何やってんの!」

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最高裁判所です。
これまた、変形して宇宙に飛び立ちそう!なんとなく木馬(ホワイトベース)に似てません?石だけど。

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2010年3月25日 (木)

愛すべき酔っ払いと悪魔の喫煙者

最初に断っておくが、私はお酒は飲まないがタバコは吸う。今の社会では、歩くテロリストと呼ばれるような悪魔の喫煙者だ。それでも、できるだけ一般の方々にはご迷惑をおかけしないよう悪者なりに気をつけているつもりではあるが、きっとどこかで多大なる御迷惑をおかけしていると思うので、まず最初に謝罪しておく。ごめんなさい。
もうひとつ、私はお酒を一滴も飲まないが、酔っ払いは嫌いじゃない。中には、思わず眉をしかめたくなるような泥酔者もいるが、幸い私の周りの酔っ払いは皆、愛すべき酔っ払いだし、一緒に飲み屋に行くのも楽しいし、誘われたらいやとは言わない。
お酒と煙草、この二大嗜好品は、歴史上様々な問題を起こしてきたし、それは現在も進行形だ。昨今の風潮では、まったく無害な煙草が開発されるか、何かの特効薬であるという画期的な発見でもなされるなど、よほどのことが無い限り、近い将来、煙草はこの世から消える運命にあるのだと思う。マリファナなど薬物は煙草より有害で法律でも厳しく取り締まられてはいるが、依然として無くならないどころか一部では増えているという現状もあるが、煙草は法律で禁止されれば、静かに無くなっていくと思う。それは、煙草は薬物に比べれば依存度も若干低く、なにより薬物ほど「儲けられない」からだ。お酒はどうだろう。最大の危機であった禁酒法時代を乗り越えたお酒にもWHOの採択により、再び危機が近づいている。お酒の未来はこの先、どうなっていくんだろうか?煙草の例と比較して考えてみよう。
まず、WHOでも大きく取り上げられている健康面、本人にとっては、煙草と同じく、残念ながら有害なのは間違いない。毎年多くの人がお酒のために健康を害し命を落としている。では、周りの人に対する影響はどうだろう。煙草は副流煙が非喫煙者の健康を著しく害するとことが問題になっているが、幸いなことにお酒にはそのような性質はまったく無い。隣に座っている人がどんなに飲んでいても、他人には一向に影響無い。時にはからまれて精神的な苦痛を味わうこともあるし、ひどい時は喧嘩になったり、殴られたり、ゲロをはかれたり、場合によっては殺人事件にさえ発展したりすることもあるが、どれも健康被害と言えるようなものではない。家庭内でも酔っ払うと暴力を振るう夫がいたり、幼児虐待をしたりというようなケースもあるが、これとて二次的な要因であり、お酒そのものを摂取して直接的に健康被害を受けるものではない。今一度断っておくが、私の周りにそんな酔っ払いはいない。
もうひとつ、匂いはどうだろう?よく、飲食店で煙草の匂いによって味がまずくなるとか、喫煙者が近寄ると臭いと敬遠されるが、お酒の匂いで食事がまずくなることはない。飲む人から言わせると、お酒があるからこそ、食事も美味しくなるらしい、かくいう私も酒のつまみは大好物だ。美食の象徴であるフランス料理はワインと切っても切れない蜜月関係にある。では、酔っ払いの匂いはどうか?「酒臭い」とは表現されるが、「煙草臭い」ほど悪質ではない。たしかに満員電車でどこのだれかも知らない酔っ払い親父に密着されると逃げたくはなるが、知り合いなら気にならない。気がする。それとて、異臭の元は酒そのものではなく、アルコールによって活性化され、増幅されたその人本来が持っている匂いなのだと思う。事実、お酒だけの匂いを嗅いでも嫌な匂いは一切しない。どちらかといえば香しい。煙草も火をつけなければそれほど臭うものでは無いとは思うが、お酒と違って、火をつけなければただの葉っぱの束なのでいたしかない。
では、事件はどうだろう?煙草でもっとも危険なのは、寝たばこ、ポイ捨てによる火災だ。これはまったくもって悪質極まりない。放火と言ってしまってもいいくらいだろう。歩き煙草による障害事件も悪質だ。700度もの高温で燃えている煙草の火は、衣服だけでなく、子供たちへの火傷被害も引き起こす。喫煙者が歩くテロリストと言われる所以だ。さらには、ポイ捨てによる環境被害。煙草は毒である。大量になればポイ捨てされた煙草によって環境に悪影響が出るし、鳥や動物が過って食べてしまうと、最悪の場合死にいたる。幸い、嗅覚に優れた野生の動物たちは、その危険性を察知して食べることはないだろうが、愛され、大事に大事に育てられた箱入り愛玩動物ではそうはいかない。ましてや、親に全ての危険から守られ、埃ひとつないクリーンな環境で安全なものしか与えられないで育てられる人間の子供にとってはこの上無く危険だ。毎年、そういう被害はたくさん起きている。
お酒は天然成分でで来ているので、たとえポイ捨てしても(ポイ捨てとはいわないが)栄養価の高いアルコールは喜んで微生物が分解してくれる。多少の匂いはあっても、環境にはまったく問題無い。確かに瓶や缶が捨てられれば問題だが、それは、ジュースや缶コーヒーも同じこと、お酒だけを責めるのはお門違いだ。まぁ、缶や瓶は捨ててもお酒自体を捨てる人は、まずいないので無害と言い切ってしまってもいいだろう。アルコールには発火性もあるが、飲料用のお酒はアルコール度数も低いので、放っておいて自然発火することは無い。度数の高いロシアのお酒でもワザと火をつけない限り燃えないだろう。煙草と違って、お酒で火災が起きることはまず無い。そういう意味では、お酒は煙草と違って社会的にも無害だといえよう。人は酔うと朗らかに明るくなるし、酒の席では互いに本音で話ができ、より深い親交もはかれる。何より日頃のストレスを発散するにはもってこいだ。喫煙者も煙草はストレス発散にいいと言うが、お酒に比べればたいしたことは無い。喫煙者どうしの親交は、特に最近世の中の締め付けが厳しくなった事も手伝って、互いの傷をなめあい励まし合い、いつかこの住みにくくなった世界に反旗を翻してくれる、現れるはずも無い救世主を夢見た愚痴の言い合いでしか無い。ただ一点だけ、些細なことではあるが、お酒にも欠点がある。いや、欠点と言えるかどうか・・・。人は酔うと朗らかになると言ったが、少数ではあるが、その逆になってしまう人もいることはいる。くどいようだが、私の周りにそんな人はいない。
まれに酒の席では喧嘩になったり、街では酔って気が大きくなってしまって、肩が触れ合っただけで言い合いになったりしてしまうことも無くはない。後輩に一気飲みを強要して、救急車騒ぎになることもまれにではあるが起こる。酒の勢いで人を刺したり、飲酒運転で人を殺めてしまう人も少しはいる。むしゃくしゃして放火してしまう人もいるが、これは素面でしてしまう人もいるので、一概にお酒のせいとはいえないだろう。最近、取りざたされることの多いDVも、酔ってひきおこされることが多いと聞くが、これとて必ずしもお酒が原因だとはいえない。後、多くはないが、限界を超えて飲み過ぎ、街中や電車で戻してしまう人もいるが、酔って前後不覚になってしまっているので、謝らなくても、そのまま放りっぱなしで掃除をしなくても、開き直って喧嘩を売ってきてもいたしかたがない。なんといっても、意識が無いのだから、責めてもしょうがない。かえって絡まれてややこしいことになる。法律で決められた自由なのだから、他人が意見するのはお門違いだ。翌日にはちゃんと本人は忘れているので、みんなが忘れてあげれば、平穏な日常がおくれるだろう。

こうやって比べてみると、やはり圧倒的に煙草は部が悪い。時代が示す通り消えるべきは煙草なんだとつくづく実感する。確かに、お酒にも害はあるが、そのほとんどは、酒ではなく、酒を飲んだ人が引き起こす害だ。車を運転する人がいなければ、交通事故が起こり得ないのと同じで、飲む人が自らを自制していれば、だれも迷惑を被ることはない。だから、愛すべき酔っ払い達よ、消えゆく喫煙者の轍を踏まぬよう愛される酔っ払いでいて欲しい。滅び行く者達のささやかな助言として。

くどいようだが、私の周りには・・・・・。
愛すべき酔っ払い達に乾杯!(あっ、飲めないんだった。)

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2010年3月24日 (水)

開花寸前!

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開花寸前の桜。満開になると真っ白になって空を覆い隠します。その時は、この桜の下でおにぎりでも食べたい。

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2010年3月23日 (火)

可否道

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なにげに怪しい「可否道」なる珈琲店。通りがかったのが朝だったため入ることはできませんでした。半蔵門駅から国立劇場に向かって歩くと右側にあります。

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2010年3月22日 (月)

能面:黒髭改/羅睺阿修羅王

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11月の面展用に製作中の黒髭改。ある企画で、能面:黒髭を改造して羅睺阿修羅王を制作しています。能面の改造という画期的な試みです。私以外に後7人の人がそれぞれ黒髭をベースにして八大龍王を制作するという試み。本来の黒髭の型紙を改造しながら制作するのはなかなか難しいですが、とてもやりがいのあることだと思っています。11月には京都でお披露目です。さあて、間に合うか!

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2010年3月21日 (日)

が!が!が!が!が!

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商店街ののぼりに「が」「が」「が」「が」「が」「が」「が」。

がくだいの「が」です。東急東横線学芸大学の駅前商店街です。

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2010年3月20日 (土)

いつもびっくりする!

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半蔵門駅から、国立劇場に向かう道の途中、あるマンションの前を通ると、いつもびっくりしてしまいます。原因は上の写真。水遊びをする子供たち。いつ行ってもこの子たちは水遊びをしています。同じ格好で。そうです。この子たち実は人形です。わかってはいてもいつも視界に飛び込んでくる度、どきっとしてしまいます。

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2010年3月19日 (金)

ひとり掛けに座る人、二人掛けに座る人。

一人でカフェに入って座る場所を選ぶとき、どんな席を選ぶだろうか?窓際だったり、トイレの近くは避けたり、花の前だったり、きれいな女性の近くだったり、厨房が見える席だったり、できるだけひと目につかない端席だったり、もし、あなたがスナイパーなら店全体と出入り口が見渡せ、背後に回り込まれること無く、いつでも敵に対処できる安全な場所だったりするかもしれない。
では、4人掛けと2人掛けと1人掛けがひとつづつ空いていたとしたら、どの席を選ぶだろうか?私はよほど劣悪な環境でない限り1人席を選ぶ。荷物が多いときなどは、2人席を選ぶこともあるが、4人席にすわるのは気がひけてなかなかできない。それは、
後で来るであろう複数人のお客さんのためを考えてしまうからだ。これは、人として当たり前のことだと思っているが、世の中には、そんなことおかまい無しの人がいる。いや、そういう人が増えてきたように思う。もちろん、人を押しのけて座るのでなければ、どこに座ろうとその人の自由だ。見ず知らずの赤の他人のために自分が不自由する必要は無いし、もしかしたら自分がその店にいる間に、そういう人が入って来ないかもしれない。もし、そういう人が入ってきたら、その時、席を移ればいいだけのことかもしれない。それでもやっぱり、私はなんとなく気がひけるから、できるだけ少ない席数のテーブルを選ぶ。来ないかもしれない全く赤の他人で複数のお客さんのために。

でも、これって、社会生活を営むための常識的なマナーだよね。

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2010年3月18日 (木)

キリンは黄色い?

先日のエントリーで桜の花は白いと書いた。しかし、多くの人が桜の花の色はピンクだと記憶していないだろうか?たしかに花は真っ白では無い、若干ピンクがかった白ではあるが、皆が記憶している桜のピンクはもっと濃い。その理由は、蕾にある。桜の蕾は濃いピンクだ。5分、7分咲きの桜は、その蕾のピンクのおかげで、全体がピンク色に見える。もうひとつ、キリンは黄色いか?イラストや、キャラクターで、キリンは黄色く描かれる。「キリンは何いろ?」と聞かれて「黄色」と答える人も少なくは無いと思う。では、実際のキリンはどうだろう?実は白地に茶色の模様が入っているだけで、黄色はどこにも見当たらない。白と茶色のまだら模様がなんとなく遠くから見ると、茶色が薄まり黄色っぽく見えるだけだ。あと、キリンに関しては、キャラクターやイラストの刷り込みも多分に影響してはいるとは思うが、原理は桜と同じだ。
この錯覚(?)を利用したのが、現代のカラー印刷技術と言えるだろう。通常の商業印刷物は、CMYK(シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック)たった4色で印刷されている。絵の具のようにそれらのインクを混ぜて色を作り、印刷しているのではなく、この4色だけで印刷している。その秘密は点描だ。この4色を肉眼では見えにくいくらい(少なくとも老眼(遠視?)の私には裸眼で見ることはできないくらい)小さな点々で印刷する。マゼンタはツバキの花のように濃いピンクだが、これを50パーセントくらいの網点にすると桃の花のようなピンクになるし、10%くらいにすれば桜の花のような淡いピンクになる。ここでのパーセントは、その面積に占める点の総面積と考えれば、わかりやすいだろう。10%は50%と比べて点と点の距離が離れてまばらになっている。結果、マゼンタの絵の具1に対して白を9混ぜて作ったような淡いピンクに見える。あくまで見えるだけで、実際に印刷されている色は原色のマゼンタのままだ。マゼンタ50%とイエロー50%ならオレンジになるし、イエロー80%とシアン30%なら黄緑になる。おもしろいもので、かならずその合計が100%である必要も無い。色の濃度が面積に占める網展の総面積なのに合計が100%を超えるのは矛盾しているようにみえるが、印刷インクは透明なので、イエロー100%とマゼンタ100%という色も再現できる。俗に専門用語で「金赤」と言われるもっともニュートラルな赤だ。4色全てが100%という指定もできる。もちろん見た目は黒になる。絵の具やインクは加色混合なので、混ぜれば混ぜるほど黒に近づいていくからだ。ただし、4色100%は、インクが乾かないと、印刷所には嫌がられるし、時にはどれかの色に振れることもある。
こうやって印刷は原色に近いフルカラーを実現している。原理は桜やキリンと同じだ。一度、手近にある印刷物をルーペで見てみよう。そこには、4色の網点が織りなす万華鏡の世界があるから。(そんな綺麗なもんじゃ無いかな?)

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2010年3月17日 (水)

損得勘定。

最近は、健康のためにできるだけ歩くようにしている。おかげで、歩くのが苦にならなくなってきた。昔は歩くのがきらいで、どうすれば、最短距離でいけるかばかりを考えていたように思う。まるで、余分に歩くことが損だとでもいうように。回り道などもってのほか。トイレに行く時にも、ついでにコーヒーを入れて、途中でプリントアウトを拾ってという具合で、常にシステマチックに考えるクセがついていた。とにかく、一歩でも多く歩くのが嫌だった。駅のホームも乗り換えの効率を考え、最適な扉、最適な座席を探していた。歩く距離が伸びればそれだけ時間もかかるし、人生の中で大きなロスだと考えていた。
ところが、去年ぐらいから年齢的にも基礎代謝が弱ってきたので(たぶん)、それを補うため歩くことを採用した。そうしたら、あんなに毛嫌いしていた歩くことにも大きな意味があると気がついた。確かに時間はかかるが、その成果はちゃんと体に帰って来る。一歩歩けば、その分なにがしかのプラスのなると考えると、回り道、寄り道が楽しくなる。面白いことにたったこれだけの意識の変化で、今まで身の回りにありながら見えていなかったものがいろいろ見えてくる。現金なものでそうなると俄然歩くことが楽しくなる。もはや、健康のためという義務感は無い。少しでも遠くへ、軽やかに大股で、電車の中でも座らなくなったし、階段も一段飛ばしでのぼる。目的のひとつ手前の駅でおりて歩いてみると新しい景色にも出会える。風が心地良い、太陽が暖かい。そしてベンチで休みながら、このエントリーを書いている。
間違いなく、私にとって歩くことは「損」から「得」に変化した。いや、もはやそんな損得勘定はどうでもいい。歩くことを損だと考えていた時期が、それこそ損をしていたんだと思う。

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2010年3月16日 (火)

桜の花は白い。

先日、ある料理屋さんで、同席していたお花の先生が、「この桜、満開じゃない!」と、少し語気を強めて言った。目の前に出された鯛の姿作りには、まさに満開の桜の枝が飾られてあった。この時期に満開の桜とは素晴らしいなぁとか思っていた私は少し驚いて、その後の言葉を待った。
桜はね、咲いちゃうと白くなっちゃうじゃない、こういう風に飾る時は、ピンクの蕾が混じっている方が綺麗なのよ。」なるほど、おっしゃる通り。たしかに満開の桜は迫力あるが、5分、7分咲きの桜の方が色気がある。それでも、お花見ならば、その大きさもあいまって満開がめでたくもあるが、大皿の飾りでは色気を取りたい。言われてみないとわからないものである。
ものには美しい頃合いがある。それをちゃんと見定めて最高の舞台を用意してあげることが、その枝を折った人間の気遣いであると思う。

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2010年3月15日 (月)

早送り。

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早送り。


もっと早送り。

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六本木にて。

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2010年3月14日 (日)

春です。

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一足先に木蓮です。
今年は桜の開花も早いようで、23日頃には東京でも開花、もしかすると3月中に満開ってことになりそうです。お花見は早めの予約をしておかないと、葉桜で一杯なんてことになりかねません。開花予想はこちらをどうぞ。

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2010年3月13日 (土)

軽々しく極めたというな!

「俺は、もう、極めたね。」
そういう人ほど、はっきりいって極められていない。本物の名人と言われる人は、一生の内に一点か二点、納得できれば良いと言う。自称名人は論外だ。
しかし、極めたという人も決して嘘はついている訳では無いと思う。彼の見える世界では、確かに極められたのだろう。ただ、彼の目に見えている世界が浅く狭いだけなのだ。
物事は突き詰めていけばいくほど、その先に広がる長く広い道が見えて来る。だから名人ぼど、軽々しく極めたとは言わない。彼等の目に映る世界は、我々には想像もできないほどの高みにある。それを見てしまった者は、到底人知の及ぶところでは無いかもしれないが、より高くを目指そうと挑戦し、より一層精進しなくてはならないと思うのだろう。
軽々しく「極めてた。」という人は、自分に見えている世界がいかに浅く狭いものかという事をさらけ出しているのかもしれない。
今のわたしに見えている世界がどれくらいの広さなのかはわからないが、この先に待っているさらに広い世界を目指して一歩一歩歩いて行こうと思う。

拓郎の歌詞にこんなのがある。
「自然に生きてるってわかるなんてなんて不自然なんだろう。」
全くその通りだ。

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2010年3月12日 (金)

無くしたものは何?

今週、愛用のマシンが壊れた。このMacを使い始めて約2年、とはいえ、最近のMacは、移行アシスタントのおかげで、新しいマシンを買っても常に環境は移行され続けてきているので、マシンは2年でも、その中身は5、6、7年前から蓄積されてきたものが詰まっていた。いつもHDDがカリカリいってるくらい酷使してきたマシン、こいつで、実にたくさんのものを作ってきた。仕事も作品も、写真もありとあらゆるものがこのマシンに詰まっていた。今は沈黙してうんともすんとも言わない。7割くらいはバックアップをとってあったのは不幸中の幸い。壊れたHDDは、データのサルベージに出しているが、のこり3割は戻って来ないかもしれない。
無くしたものは大きく、仕事に関しては、今、大変な思いで作り直していたりするが、不思議と現実感が無い。それは、無くしたものがデータという形の無い物だからだろうか?壊れたマシンは単なる器で、これまた愛着が薄い。愛用のものが壊れたり無くなったりすることは今までもいろいろ経験してきた。バイクも車も筆やペンや時計や三角定規やおもちゃまで、いろんなものに別れを告げて人間は成長していく。その都度悲しんだり悔しがったり怒りを覚えたり、感謝の気持ちでいっぱいになったりしてきた。でも、今回はなんだか違う気がする。このHDDには、今まで無くしてきたもの以上にたくさんのものが詰まっていたはずだが、たくさんありすぎて思い出せない。形の無いものが無くなるというのはどういうことなんだろうか?気持ちとか思い出もたしかに形は無いが、それには必ず、対象となる人やものという現実が存在する。データは、それらとは違う。いや、違う気がする。
ありすぎて思い出せないことと、形がなく実感が湧かないこと、手に取れないものが、手からこぼれていってしまったことにリアルさは乏しい。それでも、明日から、また、無くしたデータを思い出しながら、仕事をしなけりゃならないという現実は待っている。
あぁあ、ちゃんとバックアップとっときゃよかった。でも、なんとなく引きずられていた過去と意外にあっさり別れを告げられたような気もする。たまりすぎたデータを、いい加減整理しなくちゃと思いながら、なかなかできていなかったこと。たぶん、HDDの隅っこにはそんなゴミのようなデータがたくさん埋もれていたことだろう。何となく身も軽くなり、新たな気持ちで、また、たくさんのものを作っていけるような気がして、軽やかささえ感じる。まるで、新しい街に引っ越したときのような期待と不安が入り混じった新しい気持ちだ!

これって開き直り?いやいや、僕って前向きだなぁ。

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2010年3月11日 (木)

比較するから本質が見えてくる。

絵を描く事【其の弐】

先日のエントリーで絵を描くことの本質はモノを見ることだという私の説を書いた。今回はさらにそれを掘り下げてみようと思う。
本質を見極めるということは、ある意味、比較対称することから始まる。誰でも新しいことに直面した時、まず最初にすることは、自分の経験や記憶と照らし合わせ、その違いからそのものを理解しようとする。「食べたこのない味だ。」「今まで見た事もないくらい大きい。」とか表現するのはあきらかに自分の経験と比較している。例えば、外国を旅行し、初めて食べた果物を、「これはバナナに似ているけど、もっとクリーミーだ。」とか、「チーズと生クリームを合わせたようだ。」とか、思ったことはないだろうか?そうして、過去に自分が食べたものと比較することによって表現を決め、その名前とともに記憶に残そうとする。大きな建物なら、「東京タワーとどっちがでかいかなぁ?」と比較することもあるだろう。よく「この敷地は東京ドーム15個分です。」とか表現するのも同じことだ。皆が想像できる比較対称をあげることで、その大きさを表現する。だれも、「うちの隣にある運動場30個分」とか「裏山が3個分」とか、「僕が夢で見た大きな池の半分くらいだ」といような共通認識できないものとは比較しない。それは比較しても他人には伝わらない意味の無い事だからだ。
たとえば、似顔絵を描く時、大事なことはなんだろう?上手な似顔絵はいかに相手の特徴をつかむかにかかっている。「丸顔だ」「顎がしゃくれている」「えらがはってる」「鷲鼻だ」「眼鏡をかけてる」「目がとにかく大きい」「スキンヘッドだ」「ヒゲがある」「ホクロがある」「福耳だ」「いつも口をへの字に曲げている」などなど、とにかくその人が「普通」とは違う箇所を見つけ出し、それを少し誇張してあげれば立派な似顔絵になる。その特徴が「普通の人」と違えば違うほど、似顔絵は似てくる。よく、ととのった顔は似顔絵が描きにくいと言われるのは、「普通」とは違う特徴が少ないからだ。そう、ここで大事になってくるのは、「普通の顔」の記憶にある。人とは違う特徴を見つけ出すためには、だれもが思う「一般的な顔」をしっかりと知らなければならない。その基準顔と目の前にいる人を比較するからこそ、皆が「似てるぅ〜」と言ってくれる似顔絵ができあがる。結局のところ、誰もがその「普通(他人)」とは違う部分を知らず知らずのうちに認識はしている。だからこそ、見分けがつくし、区別ができるのだが、意識して記憶している訳では無いので、何も見ずに思い描くことはなかなか難しい。上手な似顔絵を見て初めて、「そうそう、こんな感じ、似てるぅ〜。」となるのだ。
ここで言う上手さとは、絵を描く技術だけではない。どんなに卓越した技術を持っていても、必ず上手い似顔絵がかけるとは限らない。絵は上手くなくても似顔絵は抜群に似ているという人もたくさんいる。そういう人たちは、絵を描く力を訓練したのではなく、見る力を磨いたんだと思う。

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2010年3月10日 (水)

工事中でもちゃんと繋げる。

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東京駅は今、大工事中です。歩き慣れた通路が無くなり、様変わりした風景に思わず迷子になってしましそうです。そんな中、たとえ工事中でもこの視覚障害者誘導用ブロックは、仮設とはいえちゃんとつなげられています。とても大事な事ですね。ちなみにこの黄色いブロック、「点字ブロック」の名で知られていると思いますが、この「点字ブロック」という言葉は、安全交通試験研究センターによって商標登録されているそうです。
その形状もJIS規格(JIS T9251)で厳格に決められています。
・ブロックの大きさは1辺30センチ以上
・線状ブロックの線は4本以上、点状ブロックの点は5×5以上
・点の頂部の直径は12ミリ。線の頂部の幅17ミリ、長さは270ミリ以上。底部はそれぞれプラス10ミリ(両側で)。
・点・線の高さは5ミリ。
・点の間隔は中心間で55~60ミリ。線の間隔は中心間で75ミリ。

通常、目が見えるひとには、あまり必要のないこの「点字ブロック」。どちらかといえばキャリーバッグをひいてる時など歩きづらい場合もありますが、万が一、地下で地震などに遭い、停電してしまった時、この点字ブロックをたどれば地上に出る事が出来ます。真っ暗闇では、目は何の役にも立ちません。焦らずに、まず、この点字ブロックを手探りで探しましょう。この黄色いでこぼこは、きっと地上まであなたを導いてくれることでしょう。

だから、工事中でもちゃんとつなげておく事はとっても大事な事です。

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2010年3月 9日 (火)

踊り場の秘密の扉。

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東京駅、新幹線ホームの階段にある秘密の扉。普段、何気なく通っているとなかなか気付かないこの扉。よく通っているはずの私も、偶然、この扉の中に消えていく人を見て、初めて気付きました。大きさは潜り戸くらいの小さいもの。もちろん大人は腰をかがめないとくぐれません。驚くのはこの扉、とても頑丈そうな鍵がついています。いったいこの扉の向こうには何があるんでしょうか?

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2010年3月 8日 (月)

観覧車が見えるカラオケボックス。

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夜の名古屋に突如現れた大観覧車。実はこれ、サンシャインサカエというショッピングビルに取り付けられた観覧車です。もちろん、乗る事も出来ますしちゃんと動きます。さすが名古屋、やる事が違います。何々、これなら、ドン・キホーテもやってるって?
もちろん、これだけでは終わりません。この向いには、窓からこの観覧車が見えるカラオケボックスがありました。よく見えるように壁一面の大窓で、高いところが苦手な方にはおすすめ出来ません。

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2010年3月 7日 (日)

泳げないのに溺れている人を助けるため海に飛び込むのは迷惑?

目の前で人が溺れている時、だれもが、その人を助けようとするだろう。では、自分が泳げなくても飛び込んで助けようとすることは美談になるだろうか?
そんなことはない、文字どおり、かえって足を引っ張ることになりかねないし、それこそ二重遭難になる。それでも、そんな危機的状況では、何かをせずにはいられないのが人情というもの。その無謀な行為によって溺れていた人に冷静さが戻り、助ける方が助けられたりするかもしれないし、騒ぎが大きくなって救助隊が駆けつけてくるれるかもしれない。それもこれも溺れている人が助かってのこと。二人とも助かれば、なお良い。美談にもなるし、感謝もされるだろうが、二人とも沈んでしまえば、ただの無謀な馬鹿者に成り下がる。
こういうことは、仕事でもよくある話。自分が泳げるかどうか誰しもよくわかっているが、仕事に関しては、できると思い込んでるだけの人がいる。できないながらも、何とかしようと手を差し伸べてくれる人は、ありがたくもあるが、できないのにできると思い込んでしゃしゃり出てくる輩は始末が悪い。最近も、身近でそういう話を聞いた。残念ながらその仕事はなくなってしまったそうだ。
吉田拓郎の「イメージの詩」にこんな一節がある。
「古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう。なぜなら古い船も新しい船のように、新しい海へ出る。古い水夫は知っているのさ、新しい海の怖さを。」
歳を重ね、経験を積んできた者は、そこんところをちゃんと考えなければならないし、それを解決できる知恵も持ち合わせていなければならない。今以上歳を重ねる前にちゃんと考えておきたい。もちろん、時には冒険する事も大事だが、身の程を知る事はもっと大事な気がする。

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2010年3月 6日 (土)

人が多くなるとマナーが悪くなる。

「撮り鉄」(鉄道ファンの中でも鉄道写真を撮る人々)のマナーの悪さが問題になっている。中には線路に入って電車を止めてしまうけしからん輩もいるという。昔から鉄道ファンはいるが、なぜか最近、鉄道ブームが再燃している。どちらかというとデジタルカメラの爆発的な普及で、本来、鉄道ファンではない人々が獲物を求めているうちに鉄道に行き付いたようにも感じられる。それを裏付けるのが「葬式鉄」と呼ばれる引退する列車のみを追いかけるに行く、お祭り騒ぎ的な撮り鉄の増加ではないだろうか。
その昔、まだ「おたく」という言葉が認知される以前から、鉄道ファンは存在した。どちらかというとマニアックで根暗なイメージが強かったが、誰に迷惑をかけるでも無くただ淡々と列車を追いかけていたように思う。そこにはマニアとしてのプライドとマナーが存在していた。何事にも言える事だが、ブームというものは、そんな節度ある暗黙の了解をぶち壊しにしてしまう。後からはいってきた人は、充分その暗黙の了解を学ぶ前に現場に出ていってしまう。あるいはそもそもそんなことお構いなしで我先に先頭に立とうとする。そこで、昔からのファンとの間に軋轢が生れるし、一般の人々に多大なる迷惑をかける事になる。
本来、マナーとは人と接する際、相手が不快な思いをしないように気をつける事。決まった様式をただトレースする事ではなく、あくまでも周りに対する配慮ということだ。ひきこもりする人には必要ない。逆に人が増えれば増えるほどマナーは必要になってくる。筈だ。残念ながら現状では、人が増えれば増えるほどマナー意識は低下していく。もちろん、人が増えるという事は、そういう「躾け」がされていない野暮な輩も増えるという事もあると思うが、赤信号みんなで渡れば怖くない的な、無法状態が生れてしまう要因にもなるのだろう。
現代は、昔と違って、人々がいろんな事に参加できる自由を得た。これはとても良い事なのだと思うが、自由とは何をやっても良いという事ではない。自らを由(よし)とするということは、自らを律するということだと。自由だからこそ、自由を主張するのだからこそ、相手の自由も尊重し、それを害することは避けなければならない。それがマナーではないだろうか?

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2010年3月 5日 (金)

罰当たりなのか信心深いのか?

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松の木がお社に向かって倒れ込むように生えています。倒れそうになった松の木をお社が支えているようにも見えるし、松の木が腰を低くして礼をしているようにも見えます。いったいどうしてこんなことになっちゃったのかしる由もありませんが、松の木の腰の折り方は見事です。
はたして、これは、罰当たりなのか信心深いのかどっちでしょう?

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2010年3月 4日 (木)

へっへっへっぇ〜!

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決まりに従って、地の利を考え、人の流れを考えたら、必然的にこういう配置になったんだろうとは思いますが、どうにも何か楽しげな意図がありそうに思えてなりません。ギザギザの口と三角眼が笑いを誘います。人間の脳は、いろんなものを人の顔として認識しようとする性質があるようです。壁の染みや木の陰、いろんなものの配置の中から人の顔を探し出すような仕組みになっています。

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2010年3月 3日 (水)

東京でも暖かくなるのかな?

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3月1日、奈良東大寺二月堂のお水取りが始まった。子供のころ、母親が「お水取りも終わったし、やっと暖かくなるよ」と言っていたのを思い出した。私の故郷、和歌山では、奈良のお水取りまでは寒い日が続き、これが終わってようやく春が来るというふうに言われていた。今は東京に暮らし、季節の流れも故郷とは違うけれど、なんとなく、故郷を思いだした。

ちなみに、上の絵は、JAL国際線の機内誌の表紙用に描いた奈良、左奥に二月堂のお水取りを描いてある。このお仕事は、何人かの絵描きさんが何年かごと持ち回りのように描いていたんだけれど、JALがこんなことになっちゃって、もう描く事も無いのかなぁ?

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2010年3月 2日 (火)

これはアートか?新種の植物か?

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いえいえ、立派な植木職人さんのお仕事です。それにしても、何か新種のでっかい茸類のようにも見えて不思議な感じです。夜な夜なウネウネと動いていそう。最近、(健康のために)できるだけ歩くようにしていますが、自然の中を歩くのは色々発見があって楽しいですが、街中も捨てたもんじゃありません。

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2010年3月 1日 (月)

月を見上げる。

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伊豆長岡温泉、三養荘の廊下。
天上に三日月、見ようによっては、下からそれを見上げるスカートをはいた女の子に見えませんか?光が映し出したほのぼのとした光景。それにしてもこの三養荘、とにかく広くてビックリしました。どこまでもどこまでも廊下が続くさまは、まるで永平寺の廊下を歩いているような感覚にとらわれました。

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