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2010年2月 7日 (日)

嫌疑不十分と疑わしきは罰せず。

嫌疑不十分で不起訴となった小沢幹事長、マスコミや野党は、嫌疑が不十分で起訴できなかっただけで、疑いが晴れた訳じゃないと、まるで、限りなく黒に近いグレーとの評価だ。というか、あきらかに黒だが、尻尾を出さなかった。という決めつけになっている。野党に関して言えば、所詮、選挙に向けてのパフォーマンスで真実なんかどうでもよく、責める口実なだけで、民主党の政権運営をスムーズに運ばせない(率直にいうと妨害)ための人質みたいなもんだからしょうがないけれど、報道はもうちょっとましな見方をして欲しいとも思う。まぁ、過去の経歴をみると、精錬潔白とは言い難いが、それでも検察の頂点(?)のような特捜部が罪に問えるだけの証拠が無いと判断したのだから、現時点で法律的には無罪である事に違いは無い。確かに政治家という公職にあり、社会的に影響力のある人物には、一般の人より責任が重いと判断される。じゃぁ、一般人は多少の事は許されると言う事だろうか?それは間違っている。それじゃあ、あまりにも不公平だ。公人の影響力を考慮した責任を声高に問うのであれば、桁違いに影響力を持つマスコミの責任も今一度考えるべきでは無いだろうか?
「疑わしきは罰せず。」という原則がある。刑事裁判で裁判長が行う判断である。検察には挙証責任があり、それが不十分だった場合、つまりその罪を立証できなかった場合には、被告に有利な判断をするというものだ。これを被告側からみた場合、「推定無罪」という事になる。この原則が崩れてしまえば、「冤罪」が多くなる様な気もする。それ以前にマスコミによる「冤罪」じみたことは多い。あきらかに決めつけ報道による社会的制裁が目に余る。それが「マスコミによる「冤罪」と発覚した場合でも彼等は反省すらしない。中には、実際の刑罰以上の制裁が加えられる事もしばしばだ。法律の専門家でも無い彼等がかざす「正義」というものが、実際の罪の重さ以上の制裁を加えてしまう事を自覚すべきでは無いだろうか?
数日前のある報道番組で、この事件を報道する際、導入のところで、街灯に吹き付ける雪の映像が挟み込まれていた。冷たい風、雪、厳しい寒さの映像で、小沢さんの置かれた立場の厳しさを表そうとでも思ったのだろうか?公平な報道を目指すべき立場で、そんな心象に訴える映像を挟み込み、世論を誘導する必要があるのだろうか?映画やドラマじゃあるまいし。日本の報道は、もはや、バラエティー番組なんだなぁと思う。
こんなマスコミ批判みたいな事を書いてると、いつか、その攻撃の矛先がこちらに向くかしら?いえいえ、そんなことは万が一にもありません。だって、私じゃ視聴率取れませんから.....。

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