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2009年12月29日 (火)

年末年始はお休みします。

Mutsuki
2009年は、
私の戯言にお付き合いいただき、
ありがとうございました。
家にはマシンを置いていませんので、
年末年始はお休みさせていただきます。

2010年は、
年明け早々再開したいと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

岡 達也

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2009年12月28日 (月)

お金の流れ。

格差社会という言葉が使われ初めて久しいが、経済的にはどういうことなんだろうか?私は経済学者でもないし、学生時代は社会科が嫌いで、その分野に関しては、すっとこ出来の悪いほうだったので、今、考えていることが正しいのかどうかはわからない。でも、何となく社会経済が偏った方向に向いている気はする。ある経済学者が現代のお金の流れに関して話していた論旨がとてもわかりやすく納得ができたので、私なりに解釈してみようと思う。
バブルのころ、日本は1億総中流に湧いていた。今考えればやり過ぎだったのだが、みんなそこそこお金を持ち、使っていた。日本経済は右肩あがりで、誰もが将来に希望を持っていた時代、ほとんどの人が、自分は中流だと思っていた。
今はちょうど、その反対だ。格差は広がり、自分を中流だと思っている人は激減した。富裕層はというと、そうは変わらない。時代が変わり、新たな富裕層も生まれている。こういう状況ではお金の流れに大きな違いが出てくる。それは圧倒的にお金を使う人の規模が変わるということ。確かにお金持ちの方が沢山お金を使うように思えるが、全体としてみれば、ごく一部、一人が使えるお金はそんなに多く無い。たとえ少しづつでも、大勢が使うお金の方が社会経済にとっては大きな意味を持つ。例えば、どんなお金持ちでも、一度に乗れる車は1台だ。どんなに燃費の悪い車でもガソリンの使用量はたかがしれている。車道楽で何台も持っていたとしても、一人の人間が2台の車に乗る事はできない。これに対して、1000人の1割が車を買えば、それだけで100台の車が売れる。経済効果は大きい。ものが売れるということは、お金が回り、給料が増え、そのお金は購買意欲につながり、成長の連鎖が生まれる。ちょうど、今と逆の助状況だ。また、1台のフェラーリを作るために関わる人と、100台のカローラを作る人を見比べてみれば、労働者の規模が違うのは簡単に想像できる。工場の設備投資も違えば、その機械を作る人、部品を作る人、販売店、販売員の数、ガソリンの消費量、観光地の賑わい、お土産の売れる量、その広がりは雪だるま式に大きくなる。また、それだけ多くの人にお金が分散されれば、おのずと買われるものの数、市場規模そのものが大きくなる。その連鎖はさらに大きな連鎖を生んでいき、経済は活性化するだろう。
逆に富裕層だけが富む社会では、使いきれないお金は、株式など投資に向かう。金で金を生む錬金術のような仕組みにだ。ただ、自分の金だけで増える事は無い。回り回っても絶対量は変わらないからだ。そこで、小さな投資家のお金も吸い上げようとする。所詮、お金の絶対量は変わらないのだから、どこかに集まっていくか、広く分散していくかのどちらかでしか無いし、それが、繰り返されているにすぎないのかもしれない。

広く水量の多い一本の大河は、大木を育てるが、細く無数に枝分かれした川は、広大な土地を緑にする。

どちらにしても、その源は生産力、全ての人が生産活動をしなくなれば、水は涸れてしまうだろう。買えるものが無ければ、お金はただの紙くず、燃やせば暖は取れるだろうが、腹の足しにはなりゃしない。

来年は、少しはましな世の中になると良いですね。

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2009年12月27日 (日)

【crane file : 028】空高く。

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久しぶりにクレーンファイル。
銀座、ビルの谷間のクレーン。今はまだ両側のビルには及ばないけれど、空高く成長中。

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2009年12月26日 (土)

こんなところに東京タワー

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ライトアップされた東京タワーを背に、ふと見上げると、こんなところにも東京タワーが!一度、このビルのこの窓から東京タワーを眺めてみたいと思いました。
しかし、下の方にある看板。「ウルトラの国」って何?
介護センターみたいなんだけど・・・。

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2009年12月25日 (金)

天才を育てる。

数学は技術、だから楽しむのは難しい。
アメリカで天才兄弟を育てた母親の言葉。ちなみに長男は9歳で大学に入学。IQ200
階段を登りながら、数を数えることを覚える。登ったら、何段だったか尋ねる。すぐに答えられなくても、「どうしたの?何段だった?」と聞き直したり、「わからないの?」とか言って追い込まない。ただ、答えられるまで、笑顔で待つ事が大事らしい。
ものを数で考えられるということは、合理的な思考力を育てる。生活の中に数学を発見することで、数学の楽しさを教えていくことが大事らしい。
脳の発育は、幼少時の経験に大きく左右され、遺伝子的な影響はそれほど多く無いともいわれる。
ということは、誰でも天才に育つ可能性を持っている。

しかし、テレビで観たこの子供達、どうにも私は馴染めそうにないと思った。なんとなく可愛げが無い。彼らよりIQが低い私のひがみ根性なのかもしれないが、やはり、子供には子供らしさがあって欲しい。いや、知識や知能レベルでは、もはや彼らは子供ではない。一般的な大人をはるかに凌駕している。だから、子供として扱ってはいけないのかもしれない。見た目はあきらかに子供なのに・・・。

なんとなく、優性遺伝子とか劣等遺伝子とかを扱ったSFを思い出してしまった。こういう物語では、優性遺伝子をもった側は、どうにも冷徹で機械のように描かれる事が多い。そういうお話と彼らの映像が私の中でリンクして偏った見方をしてしまったのかもしれない。この子達が将来、世界を動かしていく存在になるのかもしれないが、いつの世も優秀な人物が成功するとは限らないのも、また、事実。劣等生が世界を変えることだってある。そこにある差は、「経験」というものなのかもしれない。経験は知識として学ぶ事はできない。とにかくやってみなければ経験できないからだ。それには、やはり時間が必要になる。

と、こういう結論に導こうとしているのは、やはり私のひがみ根性からくる自己防衛なんだろうか?

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2009年12月24日 (木)

なんとなくほっと。

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枯れ葉の間からのぞく、緑の芽。冷たい木枯らしが吹く寒空で、なんとなく温かい気持ちになれる。ここで食物連鎖や自然の循環を論じるつもりは毛頭無いが、今がどんなに寒くても、また、来年は、暖かい春が来るということを思い出させてくれたような気がする。

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2009年12月23日 (水)

婚活ブーム 。

婚活、私の辞書では、まだ、一発で変換されないくらい新しい言葉だが、テレビでその言葉を聞かない日は無いくらい巷はその話で持ちきりだ。
婚活のプロのような、ある女性が話していた言葉が印象的だった。「今の時代、インターネットや出会い系なんかで、出会う機会が多過ぎて理想が高くなりすぎるんですよ。」これにはちょっと驚きだった。ちょっと前まで、仕事が忙しくて職場以外の出会いが少ない。だから、なかなか良い人に出会えなくて結婚できないという声が多かったように思う。だからこそ、お見合いパーティーや出会い系など様々なサービス、イベントが企画されてきたのではないか?
それが充実して、出会う機会が増えたと思ったら、今度はこんな意見が出てくる。彼女たちは本当に結婚したいのだろうか?
まぁ、より優れたオスを探すのは、遺伝子情報に書き込まれた女性の性(さが)といえばそれまでだが、お眼鏡に叶うよう己を磨かなければならないオスにとって、比べられる対象が多くなる事は、さらに競争を激化させる厳しい時代の到来だという事になるだろう。
これは、オスだけの事じゃないかもしれない。女性にとっても厳しい時代。

その証拠に、婚活はブームだが、結婚がブームだという話は聞かないじゃないか!

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2009年12月22日 (火)

かざぐるまの風景。

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芝大門の増上寺、その脇の通りを歩いていると、突然、目に飛び込んできた無数の風車。これはいったい何?と思い、よくよく覗いてみると風車と同じ数のお地蔵さん。東京タワーの足下で、異空間な風景に出会いました。

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2009年12月21日 (月)

不便さが工夫を生む。

あらゆることに人は不便さを感じる。
獲物を狩るために武器を使う。最初、石を投げてみる。うまくいく。だが、いまいち効率が悪い。なにより石をたくさん持ち歩くのは重い。尖った石を長い棒の先に付けてみる。これで少し離れた獲物をしとめる事が出来るようななった。しかし、いつも獲物がそこにいるとは限らない。遠くの獲物にその槍を投げてもなかなか当たらない。そこで、槍を小さくしてみる。少しは遠くへ投げられるようになったが、軽くなった分、威力が無い。そうして弓にたどりつく。ここまでくればこの先、銃やミサイル、大陸間弾道弾に至るのはわかりやすい。
ナイフも包丁もスライサーもフードプロセッサーも、手紙も電報も電話も携帯もインターネットも、たらいも洗濯板も洗濯機も乾燥機も鍋も、炊飯器も湯気の出ない電子ジャー炊飯器もそうして進化してきた。

人は不便な事に直面するたび、それを克服するために工夫をする。
逆に考えれば、不便が無ければ工夫も生れない。私の子供のころは今のように遊び道具が充実していなかった。だからといって子供におもちゃを作る知恵も技術もない。だから、遊び方を工夫して新しい遊びを生み出してきた。どこかから伝わってきた遊びを、自分たちの地域や環境に合わせ変化させる工夫を考えた。

今の世の中、先人達の知恵と弛まぬ努力のおかげで、ずいぶん不便は減ってきているように思う。我々の父や母の時代、それは不便なことがいっぱいあっただろう。自分たちの子供達にはこんな不便な思いはさせたくないと知恵を絞り、一生懸命働いて少しづつ不便を減らしてきてくれた。ありがたいことだ。

不便な事が減れば、工夫する事も少なくなる。工夫しなくても不便じゃないから工夫する必要はない。なんとなく人の知恵というものが退化していっているように思える。このままじゃいかん!と思いながらも、この世から不便が無くなってしまえば、結局、工夫もいらないんじゃないかとも思える。

その時、人の進化は止まり、ヒトという種は終焉を迎えるのだろうか?
それとも、人間の飽くなき欲望は尽きる事なく未来永劫求め続けるのだろうか?

どちらにしろ、それは、まだまだ先の話。
だって、先人達には申し訳ないが、今も身の回りは不便でいっぱいだもの・・・。

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2009年12月20日 (日)

こんがらがった!

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自然の発想は、とてつもなく面白いものを見せてくれる。なぜこんなにこんがらがっちゃったんだろう?

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2009年12月19日 (土)

マニュアルはできない人のためにある。

今の社会はマニュアルで溢れている。サービスという業種では、ありとあらゆるものがマニュアルでコントロールされていると言っても過言じゃないだろう。さらに様々な分野にも浸食しはじめている。
このマニュアル、一見、(均一の)サービスを提供するためには、とても効果的なようにみえる。事実、マニュアル通りにやっていれば、ほぼ、失敗することはない。そういう意味では、役に立つものなんだろう。マニュアルがあれば、なにも考えなくても、それなりの仕事ができる。こんな楽なことはない。マニュアルに載ってないことはやらなくて良い。まさにお墨付きをもらったようなものだ。管理する側も、マニュアルによってあるレベルのサービス品質が確保できるし、お客からの苦情も減る。何より社員教育が楽になる。一人一人の個性を見極めて臨機応変に教育していく必要がない。文字通り型にはまった大量生産が可能になるのだ。

しかし、このマニュアルは諸刃の剣でもある。あるレベルを維持するには最も効果的だが、突出したサービス、個人のアイデアの阻害になる。なにより、マニュアル通りにやっていては、飛び抜けて素晴らしいものができなくなってしまう。工夫が生れなくなるのだ。すべてを平均化してしまうことになる。なぜなら、このマニュアルというものはレベルが押さえられているからだ。難しいマニュアルを作ってしまっては、多くの人が付いていけなくなる。だいたいの人が誰でも少しなれれば実践できてしまうように作らなくては意味がない。つまり、マニュアルとは、出来ない人をあるレベルまで押し上げるもの、つまりは、自分で考えて行動できない人のためにあると言っても過言ではないだろう。

逆に、できる人にとってこのマニュアルは大きな足かせになる。どんなに素晴らしいアイデアを思いついたとしても、どんなにお客様のためのサービスができたとしても、それを実践する事がマニュアルで禁じられているからだ。もちろん、そのひとつひとつがマニュアルで禁じられているわけではない。しかし、マニュアルに載っていない事はしてはいけない事だから、結局、できないも同じだ。
たとえば、職人さんを例にとろう。季節によって、その日の温度、湿度を肌で感じ、長年の経験から導き出した答えで日々少しづつ調整しながら、工夫を凝らし、試行錯誤しながら最高のものを生み出していく。これをマニュアル化する事は不可能だ。仮に出来たとしても、そのマニュアルは複雑過ぎて、それこそ百科事典のようになり、だれもが実践できるものではない。誰もが実践できるように省略したマニュアルを、この職人さんに実践させたら、もはや、量産品の普通のものしか生み出せなくなってしまうだろう。

多くの人が言うだろう。
「マニュアルがあった方が仕事が覚えやすい。」「楽だ。」

そう、結局、楽なんだ。自分なりの努力、工夫をしなくていい。何度も失敗し、その経験から学び、自分らしさ、自分にしかできないことを探す必要がない。最高のものを目指す必要がなくなり、マニュアルに書かれた通り、そつなく無難に仕事をこなしてればいい。こんな楽な事は無い。

より良いサービスを、より仕事を効率的にと開発されてきたマニュアルが、
結局、人間の質を落としていっているように思えてならない。

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2009年12月18日 (金)

銀杏もそろそろ終わりですね。

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真っ赤に色づく紅葉も好きですが、見渡す限り黄色く染まる銀杏並木が大好きです。あの、ちょっと赤味の入った山吹色が好きだからかもしれません。なにより、大きな銀杏並木の圧倒的な黄色に心魅かれるのだと思います。残念ながら、今年の銀杏は暖冬による寒暖差の無さからか、綺麗に色づく事は難しかったようです。どことなくくすんだ黄色、場所によってはうっすらと緑の残ったまま散っていった銀杏もありました。温暖化によって、この素晴らしい景色を見る事が出来なくなってしまうのなら困った事です。遅まきながら、私も、何が出来るか考えてみようと思いました。

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2009年12月17日 (木)

コートはいつ着る?

めっきり寒くなりました。
昨日は、この冬一番の寒さだったそうです。この季節、寒いのが苦手な私は、外に出るのもおっくうになります。今年は暖冬だと言われているのにこの寒さは、いったいどういうことでしょうか?
そういえば、よく、部屋の中で上着を着ていると、「そんなことしてたら外に出た時寒いわよ!」と言われる事があります。果たしてそうでしょうか?
私としては、冷たく冷えたコートを着て、すぐに外へ出た方が何倍も寒い気がします。外の寒さとコートの冷たさのダブルパンチです。だから、出かける前に、部屋の中でコートを着て、室温と体温でコートを暖め、暑くなる前に外へ出ます。そうした方が、外に出た時寒くないように思います。これはおかしいのかな?

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2009年12月16日 (水)

輪廻転生の未来を考える。

今朝の電車で、なんとなく輪廻転生の事について考えていた。なぜ?短い通勤の時間で、そんなことを考え出したのかわからないが、相変わらず疑問ばかりで一向に答えは出ないし、そんな短時間で答えを出そうとする方がおかしいこともわかっている。
そもそも輪廻転生とは、死んであの世に還った魂が、この世に何度も生まれ変わってくる事をいう。仏教やヒンドゥー教、インドや東洋の思想に多く見られるが、古代のギリシャやエジプトでもその片鱗が見られ、世界中に広がっている思想といえるかもしれない。(ちなみにイスラム教には、その考えが存在しないらしい。)「輪廻」と「転生」は、違う概念の組み合わせらしく、この世に帰ってくる形態によって区別され、それらがひとまとめになった考えを「輪廻転生」というらしい。「輪廻」は、動物などの形で転生するものも含んでおり、「転生」は、人間に生まれ変わることを差す場合が多いらしい。

私が電車の中で考えていたのは、そんな宗教観ではなく、そもそも生まれ変わりなのだから、元があるはず。人が皆、だれか、あるいは動物まで含んだとして、それらの生まれ変わりだとすれば、大元はどこにあるんだろう?突き詰めていけば、たった一人、あるいはたった一個の単細胞生物の生まれ変わり?コピー?ということになってしまうのだろうか?宗教観なので、プランクトンまでは遡らないかもしれない。魂の器として存在足りえる動物が始まりかもしれない。では、どうしてそれが始まったのだろう?どこから始まったのだろう?そうしてその総数はどれくらいの数なんだろう?
近年では、人から人への転生も多いと思うが、その先をさらに遡れば、結局、ヒト以前の動物に行き着くんだろう。日々輪廻転生とは関わりの無い新しい魂が増え続けているという話は、あまり聞いた事が無い。人は皆、誰か(何か)の生まれ変わりであるという言われ方をしている。その総数がどれくらいなのかはわからないが、無限ではないはずだ。
ヒトという種が誕生してから、爆発的に増え続けている。現在、もっとも繁栄しているのは、昆虫類を除けば、ヒトだといえるだろう。逆にそのヒトが起した環境破壊や乱獲によって生態系が崩れ、毎年幾種もの生物が絶滅していっている。
魂の総数が変わらず、輪廻転生を繰り返しているなら、ある種が繁栄すれば、別の種が淘汰されていくのは、簡単な計算だ。いつかヒト以外の生物が爆発的に繁栄していくことがあるなら、ヒトの総数は激減していくのかもしれない。その時は、その爆発的に増えた生物に「輪廻」することになるんだろう。もしかしたら、その兆候はもう、現れ出しているのかもしれない。少子化という形で・・・。

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2009年12月15日 (火)

宇宙船?箱船?

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さあ、搭乗しましょう。危機が迫っています。一緒に極楽浄土へ旅をしましょう。

そんな感じに見えてしまいます。これは、飯倉にある「霊友会釈迦殿」です。何をするところかは知りません。でも、ビックリするくらい大きく、なんとなくかっこいいと思ってしまいました。

もちろん、建物ですから飛びはしません。
いや、その時がきたら飛ぶのかもしれません・・・。

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2009年12月14日 (月)

来年は東京タワーを描こうと思います。

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南麻布に引っ越して、はや三度目の冬です。
麻布十番商店街の賑わいも、日々移り変わるお店も、夏の風物詩「麻布十番祭り」の殺人的な人出も少しづつ生活になじんできました。十番温泉が無くなってしまったのと、ついに一度も食べれずに無くなってしまったカステラの老舗には寂しさがつのります。ってゆうか後悔です。
この辺りに住んでいると、東京タワーを見ない日がありません。年に何度か衣替えされるイルミネーションも楽しみのひとつです。また、車でどこかに出かけて迷った時も、とりあえず東京タワーを目指せば、自然と知った道にたどり着きます。
まるで東京タワーの城下町のようなこの街に住んだのも何かの縁、再来年末には、スカイツリーという新参者も誕生しますし、この東京のシンボル、少なくとも我々世代にとって東京そのものの、東京タワーを私なりに描いてみようと、ここ何年か思い続けていましたが、機は熟しました。
来年は、この東京タワー、仮に北斎の向こうをはって「東京塔三十六景」とでもいいましょうか、を始めたいと心に誓いました。何枚描けるかはわかりませんが、出来次第、このブログでも発表していきたい!と意気込みだけはいっぱいです。
実はもう、すぐにでも描き始めたいのですが、年内は仕事に追われそれどころではありません。しょうがないので、週末はカメラ片手に東京タワーの見える場所をひたすら散策しています。時には、東京タワーの足下で、ぼーっと上を見上げています。見かけたら、ぜひ、声をかけてください(笑)

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2009年12月13日 (日)

東京タワーに行ってきたのでおみやげです。

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このおみやげを見つけた感動をとにかく誰かに伝えたくて。あてもないのに、つい買ってしまいました。20年以上前、上京した時に上ったきり、近くを通る事はあっても、足を止める事はあまりなかった東京タワー。南麻布に引っ越して毎日東京タワーを見ている内になんとなく愛着が沸いてきました。
そういえば、地方育ちの私にとって、東京タワーは文字通り東京の象徴。何よりも東京を意識させてくれるものでした。スライツリーが出来ようが、ビルの谷間に埋もれようが、そうれは今もかわりません。

ちなみにこのおみやげ、二人の友達に無言であげました。なぜ無言かって?
話す必要はありません、だって理由はパッケージに書いてあるからです。

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2009年12月12日 (土)

もうひとつの東京タワー。

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東京タワーの足下まで散歩して、小さな東京タワーを発見しました。近づくまでは、それこそ上ばかりを見上げていたので、気付きませんでした。足下にちっちゃな東京タワーをこんなに従えてるとは、やるな!東京タワーって感じです。
それにしても真下から東京タワーを見てると首が疲れます。いっそのことねっ転がって見たい!

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2009年12月11日 (金)

行き止まり。

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行き止まりです。
これ以上は進めません。
丸くなっていますが、とても車がUターンできる道幅ではありません。
でも、直線で分断するよりお洒落な感じ。
マンホールの位置がまた、秀逸。

なぜ、行き止まりかって?
この先は、階段だからです。

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2009年12月10日 (木)

時代は変わった。

28道府県の403校を対象にアンケートで、就職をあきらめて進学希望に変えた生徒がいるとした高校が半数以上の219校だったらしい。

もちろん、就職難で就職先が見つからなかった事が原因だが、僕らの高校時代は、「おまえは成績が悪いから大学進学は無理だ。卒業したらさっさと就職しろ。」って感じだったと思う。大学進学より就職の方があきらかにハードルが低かった。今や、就職できないから大学に進学するという変な状況になってるわけで、時代は変わったなぁとつくづく考えさせられる。
大学が安くなったのか、就職が難しいのか、就職先が高望みなのか、そのすべてなのかはわかりません。まぁ、国内の人件費が高くなって、企業は生産拠点を海外に移して、外国から優秀な人材を招聘して、国内の教育は中途半端で、プライドは高くて、辛抱が無くて・・・。そもそも単純作業を海外拠点に移しちゃったら、国内の求人は、高いスキルを持ち、即戦力になる人しかいらなくなる(かも?)すべての日本国民が優秀だとは思えないので、失業率が上がるのも当然かと思えてしまう。それでも景気が良ければ余分な人(いざという時必要になるかもしれないし)を雇っておく体力も企業にはあるし、最初、出来が悪くても企業内での教育次第で芽が出る人もいるだろうと、先を見越して投資気分で雇う事も出来ただろう。バブルの頃なんてその典型的な状況だったように思う。この先、そういう夢のような時代が来るかどうかは疑わしい。

せっかく大学に行かせてもらうのだから、4年間一生懸命がんばってスキルを身に付けて、引く手あまたの人材になりましょうね。ここで遊んだら、もう、先がありません。(大学院ってのもあるか?)

とにかく、4年後に、景気が回復してるといいですね。

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2009年12月 9日 (水)

ひらひら

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まるでひらひらと浮遊しているような銀杏の葉。
麻布山善福寺の大銀杏です。
今年は綺麗に色づいた銀杏が少ない。
モミジは、真っ赤に染まってますけどね。

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2009年12月 8日 (火)

自未得度先渡他(じみとくどせんどた)

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曹洞宗大本山 永平寺の廊下。
斜面に建つ永平寺は、多くの建物を繋ぐ廊下がこのようになっています。修行僧はここで毎日を過ごします。
永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山の寺院。西暦1244年(寛元2年)、曹洞宗の宗祖道元禅師が開いたお寺です。禅宗の大本山に相応しく、多くの観光客が訪れるにもかかわらず、塵ひとつ無く掃除されたそこは、華やかな装飾はありませんが、とても落ち着いた心が洗われるような場所でした。

そういえば以前、

自未得度先渡他(じみとくどせんどた)

という言葉を聞いた事があります。
道元禅師の言葉です。

悟りの境地、あるいは、幸せになれる世界があるとして、道元禅師は、すでにそちら側に行ける得を持っています。しかしあえて、この世に留まり、その境で人々に先に行くよう促します。
「お先にどうぞ。」
さらに、その人に自分の境地を伝えます。すると、その人も、
「私もまた、こちら側に留まり、より多くの人を導きたいと思います。」
こうしてその輪は、どんどん広がり、ついにすべての人が、その気持ちになった時、
この世は幸せに満ちた世界になっていることでしょう。もはや向こう側に行く必要もありません。
という教えです。

ちなみにこの永平寺の修業、起床は午前3時だそうです。
また、写真は盗み撮りではありません(笑)
お寺さんには珍しく、ストロボを使わない撮影は全館(入れるところ)許可されています。
ただし、修行僧は撮影禁止です。

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2009年12月 7日 (月)

扉。

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なんのお店でしょう?
ちゃんと看板を見てこなかったので、私もわかりません。

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2009年12月 6日 (日)

岸壁の松。

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越前海岸にて。
やっぱり、冬の日本海は、厳しいんだろうなぁ。

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2009年12月 5日 (土)

アートな風景。

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アートな飛び込み台。
ではありません。西麻布付近のビルの屋上にあります。前から、これはなんだろう?と思ってはいたのですが、通りがかりに撮影してみると、とてもアートな風景が出来上がりました。空の青と黄色がポイント。
しかし、この飛び込み台のようなものは何を意味してるんでしょうか?

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2009年12月 4日 (金)

柿。

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玄関先に.....。
やっぱり、渋柿かなぁ?

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2009年12月 3日 (木)

「2」だけ?

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今朝、家の前の道路が書き換えられていた。しかも「2」だけ。
前は、違う数字だったっけ?どうにも思い出せない。

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2009年12月 2日 (水)

枝の美しさ。

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これから冬の時期しかみられない。自然の造形。花が満開の樹も、葉が青々と生い茂った樹も、赤く染まる紅葉も美しいですが、それもこれも、その土台となる枝ぶりの美しさがあってこそだと思います。

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2009年12月 1日 (火)

非モテな生き方

最近、非モテなる生き方をする若者がいるらしい。恋愛という人との関わりを持ちたくない、相手に生活も行動も感情も左右されたくない、恋愛が価値あるものに思えないということらしい。モテないのではなく、モテたく無いのだ。失恋によるトラウマとかいうものではなく、そもそも恋愛をしたことがない、異性を好きになったことがないようだ。
最近、よく聞こえてくるのは、失敗をすることを怖がる傾向。普通は、誰も自分が可愛い、傷つきたくないと思っている。だからといって、何もしないではいられない。傷ついても、また、立ち上がればいい。そうして人は成長して行くのだと思う。それに対して、彼等は傷つく事に対して極端に恐怖心を抱き、行動する前にやめてしまう。そこにあるのは、傷つく事に対する恐怖心ではなく、立ち直れない事への恐怖心。立ち直る自信が無いのかもしれない。自分を信じられないんじゃないだろうか?
もしかしたら、小さい頃に挫折したことがないせいかもしれない。転ぶ事によって、その痛さを知り、転ばない工夫ができるようになる。転ぶ事の程度を身体で感じ、自分が飛べる高さを知る。転ぶ前に親に助けられた子供は、それを学べない。知らないから、恐怖心だけが大きく膨らみ、飛べなくなってしまうんじゃなだろうか?
もうひとつ、恋愛というものが人生の中でそんなに価値あるものだと思えないとも彼等は言う。どんなに恋愛の素晴らしさを説かれても、そういうふうには思えないらしい。これは「恋愛」というもの自体を論じている点に、間違いがあるんじゃないだろうか?
人は、「恋愛」をするんじゃない。人を好きになり、その人を大事にしたいと思い、相手にとってもそういう存在でありたいと願うようになる。これが「恋愛」ということだ。恋愛という行為をすることじゃない。そこがそもそも間違って捉えられているように思えた。言葉のイメージと定義のようなものがまるでマニュアルのように捉えられ、冷静にその費用対効果を分析したら、自分には不要だとでも言わんばかりに、、、そもそも頭で考えても、理性で割り切ることもできないのが恋なのに、、、。

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