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2009年9月28日 (月)

鬼気迫る能面の表情。

Komachi

去る、9月13日。私の能面の師匠でもある金剛流能楽師の宇高通成先生が、秘曲「鸚鵡小町」を演能されました。この曲、最奥の境地とされる老女もので、数多い段階を超え、上り詰めた能楽師にしか演能が許されない、金剛流では極めて珍しい秘曲です。宇高先生も「演じるのは生涯に一度のみ、という古くからの教えをかみしめて舞台に臨みたい。」と語られるようになかなか観られるものじゃありません。内容は百歳の老女になった小野小町の元へ勅使が訪れ、帝の歌を伝えると、「一字で返歌しよう。」と才女の片鱗を魅せるという内容です。見た目は老女ですが、その奥に才色兼備の象徴とされる小野小町を伺い知れるような言葉で尽くせない深い、深い表現に圧倒されました。そんなにたくさんの舞台を観ているわけではないですが、お能にこれほど多くの繊細な感情表現を見た記憶がありません。また、動かないはずの能面がこれほどの表情を伝えられるものかとファインダーを覗きながら驚きました。おそらく観る側が感情移入した主観的なものだと思っていたのですが、撮影した写真を見てもあきらかに表情が変わっているのがわかります。気のせいではなかったのです。

上の写真は、帝からの手紙を見るシーンです。百歳になり世捨て人のような生活をする小町が受け取った帝からの手紙、その嬉しさがひしひしと伝わってきます。下は「老女小町」の能面だけを正面から撮影したものです。比較して見てみてください。

Img_8834

木で出来た能面の皮膚が、筋肉が、柔らかく動いて表情を作っているように見えてしまいます。演者の先生に対して私がこんなことを言うのはおこがましいですが、すばらしいお舞台でした。途中から(いや、最初から)能面を能面と思えず、まさに顔として観ていた気がします。あきらかに何か(小町にちがいない!)が、憑いていたとしか思えません。

ちなみにこの「老女小町」は宇高先生自らが打たれた面ですので、演者との相性はこれ以上ないものなのだと思います。

いつかこういう能面が打てて、素晴らしい演者に恵まれ、自分の面が舞台に立つ日が来る事を願ってやみません。(来るかなぁ??)


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