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2009年9月30日 (水)

光のいたずら。

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赤いブラインドと太陽の光が見せた光のいたずら。ブラインドが風に揺れ、うねる光の形はまるで生き物のよう。

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2009年9月29日 (火)

八ッ場ダム

ここのところ八ッ場ダムのニュースがテレビで報じられない日はないくらい毎日報道されている。その内容は、地元の方々が政治と官僚に翻弄された歴史と、続けた場合、やめた場合の経済効果に終始する。地元の方々の苦悩には同情を禁じえないし、中途半端に壊された山の風景を見ると悲しくなる。人間はなんと愚かな事をするのだろうか?歴史的な背景については、報道されている部分でしか知識が無いので私がどうこう言える立場には無いが、報道でしきりに取り上げられている経済的な数字の羅列に違和感を感じる。「ここまでいくらかかった、この先いくらかかる。」「今、やめるといくら残る」「しかし、地元への保障や地方への返金は...。」「やめた方が得か、やった方が得か?」「経済効果は?」「責任の取り方は?」とても難しい計算だと思う。私には到底計り知れない。でも、こんな報道競走に違和感を感じているのは私だけだろうか?いろんなしがらみがあって難しい問題なのかもしれないが、「壊さなくて良い自然」なら、壊さない方が良い。たとえ作るより中止する方がコスト高になったとしても、だからといって必要のない自然破壊をするのはおかしい。事はお金の問題じゃ無いと思う。だって国定公園や保護地域はお金を出しても守っているじゃないか?ここの自然を残すために、このままダムを建設するよりお金がかかったとしてもかまわないんじゃないか?そこのところがどうも軽んじられていて語られないのが不思議だ。

一度壊された自然を人間の力で元に戻す事はできない。まず、そこから考えてみてはどうだろうか?

 

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2009年9月28日 (月)

鬼気迫る能面の表情。

Komachi

去る、9月13日。私の能面の師匠でもある金剛流能楽師の宇高通成先生が、秘曲「鸚鵡小町」を演能されました。この曲、最奥の境地とされる老女もので、数多い段階を超え、上り詰めた能楽師にしか演能が許されない、金剛流では極めて珍しい秘曲です。宇高先生も「演じるのは生涯に一度のみ、という古くからの教えをかみしめて舞台に臨みたい。」と語られるようになかなか観られるものじゃありません。内容は百歳の老女になった小野小町の元へ勅使が訪れ、帝の歌を伝えると、「一字で返歌しよう。」と才女の片鱗を魅せるという内容です。見た目は老女ですが、その奥に才色兼備の象徴とされる小野小町を伺い知れるような言葉で尽くせない深い、深い表現に圧倒されました。そんなにたくさんの舞台を観ているわけではないですが、お能にこれほど多くの繊細な感情表現を見た記憶がありません。また、動かないはずの能面がこれほどの表情を伝えられるものかとファインダーを覗きながら驚きました。おそらく観る側が感情移入した主観的なものだと思っていたのですが、撮影した写真を見てもあきらかに表情が変わっているのがわかります。気のせいではなかったのです。

上の写真は、帝からの手紙を見るシーンです。百歳になり世捨て人のような生活をする小町が受け取った帝からの手紙、その嬉しさがひしひしと伝わってきます。下は「老女小町」の能面だけを正面から撮影したものです。比較して見てみてください。

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木で出来た能面の皮膚が、筋肉が、柔らかく動いて表情を作っているように見えてしまいます。演者の先生に対して私がこんなことを言うのはおこがましいですが、すばらしいお舞台でした。途中から(いや、最初から)能面を能面と思えず、まさに顔として観ていた気がします。あきらかに何か(小町にちがいない!)が、憑いていたとしか思えません。

ちなみにこの「老女小町」は宇高先生自らが打たれた面ですので、演者との相性はこれ以上ないものなのだと思います。

いつかこういう能面が打てて、素晴らしい演者に恵まれ、自分の面が舞台に立つ日が来る事を願ってやみません。(来るかなぁ??)


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2009年9月27日 (日)

自分の音。

カナル型のヘッドフォンを付けたまま、食事をすると口の中で、ものを噛み砕く音が大きく反響して聞こえる。音楽を聴きながら食事をするとうるさくてたまらない。骨伝導型なんかだと最悪かもしれない。親からテレビを見ながら食事するのも叱られた世代としては、「音楽を聴きながら食事するとは、なんたること」と、なるのでお下品で申し訳ないが、最近は、みんなそんな感じで食事をしている。他の人は気にならないのだろうか?性格は別として体の作りはおおよそ皆同じなので、私に聴こえるものは皆同じ感覚で聞こえているに違いないと思う。
しかし、自分の身体の内なる部分の音が聴けるというのは面白いことだ。他人の心音は、胸に耳をあてれば聴く事が出来るが、自分のだとそうはいかない。聴診器があれば万事解決だがそんなものを常時持ち歩いている人は、そんなにはいない。携帯を胸に当てて録音することはできるかもしれない。しかし、それでは生の臨場感が伝わらない。(いや、別にそんな臨場感は日常生活に必要ないかもしれないが.....。)
ひとつ、自分の身体が一生懸命働いている音を聴ける方法がある。さあ、両手の人さし指を両耳に刺して、気持ちを楽に、どんな音も聞き漏らさないよう精神を統一してみよう。

「ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉ............... 」

これは指のすき間から入り込む風の音じゃない。耳鳴りでも無い。
この音は、両腕を上げている姿勢を保つため、腕の筋肉が収縮を繰り返している振動音だ。それが骨を通して聴こえてくる。自分の腕の筋肉が一生懸命働いている。尺足手根伸筋(しゃくそくしゅこんしんきん)も総指伸筋も、とう側手根屈筋も、腕とう骨筋も、上腕二頭筋も上腕三等筋もみんな協力してどうにかこの体制を保とうと必至で動いている。とてもけなげでいとおしい。「がんばれ、がんばれ。」静かに、しかし、確実に自分の身体の音に耳を傾ける......。

.......いや、傾けてるわけじゃないし、そもそもそんな姿勢をしてるから筋肉も働かなきゃならないんだって。

ちなみに、貝殻を耳に当てた時に聴こえる音は...........。
いやいや、夢の無い話はやめておきましょう。

 

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2009年9月26日 (土)

トレーラーの横は走るな!

海上コンテナを運ぶ車両の事故は、後を立たない。事故を起こしたドライバーは、皆一様に、「どうして横転したのかわからない。」と証言する。海上コンテナ輸送するトレーラーは通常のトラックと違い、その大きな車体を操縦しやすくするため、運転席部分とコンtねな部分が一点で連結されている。そのため、コンテナが傾いても、運転席はそれほど影響を受けず、荷台の異常に気づきにくいというのだ。
実験ではコーナーのアールにもよるが、均等に積んでいても50km程度、片荷なら30km程度で、簡単に横転してしまっていた。つまり、法定制限速度以下でも横転してしまう危険性があるのだ。
しかも肝心のドライバーは、片荷かどうかどころか、コンテナの中身を知るすべがない。これは、港に陸揚げされた時にはすでに盗難を防ぐため封印されているためだ。全世界から送られてくる海上コンテナ、荷主はまだしも、積み込む人間全てを信頼するのは、とても勇気がいる。ドライバーは、走り出した時の感覚を長年の経験で分析し、荷物の積み具合を想像して走るしかないというのだ。これで、責任をドライバーに求めるのは酷な気もする。
国からも安全指導など、様々な対策がされているが、景気の悪化が、運送業界にもドライバーにも無理を強いる。安さを追及してやまない社会的な風潮の皺寄せは、間違いなく、彼等の上に降り注ぐ。
君子危うきに近寄らずで、海上コンテナを運搬する車両の傍を走らなければならない状況になってしまったら、先に行かせて、充分車間を空けるか、すぐに追い越すことをおすすめする。間違っても、コーナーで並走するのは、絶対に避けよう。道路事情で、車間を空けることも、追い越すこともできないなら、後ろに付こう。後ろを走っていて、横転してしまった車両に追突するほうが、並走して、数十トンのコンテナに潰されるよりはまだましだ。

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2009年9月25日 (金)

能面の表情

Hikaku

先日、京都で行われた金剛流の竹生島と鸚鵡小町を撮影しつつ観てきました。
写真は、竹生島に登場する弁才天。
写真を整理していてカット違いのこの2枚を見比べて、正直驚きました。口元をよく見比べてください。左に比べて右はあきらかに口を開けているように見えます。もちろん、能面の口は動くようにできていませんので実際には同じはずなのですが、写真に撮って見てもあきらかに開いて見えます。目の錯覚ではありません。これが能面の持つ幽玄の力かと思い知らされました。いつか自分の打った面もこのように舞台に立って命を吹き込まれる日が来る事を夢見て日々精進しようと思っています。(先は長い!)

※オカルトではありません。何百年も受け継がれ、作り上げられてきた能面の形が作り出す表情です。以前、面の左右の違いについて書きましたが、その特殊な作り方が、演者によって生かされる時、このような表情の違いが表れるのだそうです。

鸚鵡小町は、私の面打ちの師匠、宇高通成先生の演じられ、竹生島は、ご子息の竜成先生、徳成先生が演じられました。鸚鵡小町は、それはもう、そこに晩年の小野小町が舞い降りてきたような素晴らしいお舞台でした。
写真は徳成先生が演じらた弁才天。こういう表現は失礼なのかもしれませんが、「可愛い」という形容がぴったりの弁才天でした。

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2009年9月24日 (木)

裁判員と名俳優

裁判員制度が始まって4ヶ月、そろそろマスコミも静かになってきた。まだまだ例は少ないが、いろんな意味で制限しながら粛々と進んでいるのだろう。残念ながら私宛には、まだ通知が来ない。

さて、この裁判員制度、裁判官はその経験と訓練から人の内面を推し量る能力を有していると思うが、一般から選ばれた裁判員は、そうはいかない。(と、思う。)もしも犯人が名俳優だったらどうなるだろう?名俳優が、それこそ名演技を披露したら、いつもはスクリーンのこちら側で涙を流し、拳を握りしめ一喜一憂している視聴者が、はたして事の本質を見抜く事ができるだろうか?
いつも善良で誠実な役柄を演じている役者なら、「この人に限ってこんな悪い事をするはずが無い!」と、頭の隅で勘違いしてしまわないだろうか?法定では、緊張感も手伝って、さすがに表には出さないだろうが、別室での評議の席ではどうだろう?いつも幸薄い女性を演じている女優なら、「この人は今までに何度も男に捨てられ、この間テレビで観た時は、今の旦那さんに暴力も振るわれてるのよ。まだ、小さな子供もいるのに.....。」と泣き崩れるおばさんを、「いや、それはドラマの話ですから...。」となだめる裁判官とかっていうシチュエーションは起こらないんだろうか?「この人、この間まで悪徳弁護士だったから、きっと言ってる事にも嘘があるわよ。」「この人は、もう、何十年も刑事をやっているんだから罪を重さは充分わかっているはずだよ。」「この人、この間、人を刺したナイフをペロペロと舐めてたわよ、あぁ、気持ち悪い。」「こんなのんびりして間抜けな人が、計画的犯罪なんてできるわけないよ。」「きっと黒幕がいるわ、だってこの人が親分になれるわ無いもの。いつも歌舞伎町あたりでぷらぷらしているチンピラよ!」「この証人、いつもは家政婦で、扉のすき間からのぞいてるから、きっと本当の事、言ってるわ.........。」

そういうのをすべてひっくるめて、正しい判決に導いていかなければいけない裁判官の仕事って大変なんだろうなと思う。もしかして、裁判員制度が始まっちゃって一番大変な思いをしているのは裁判官さんなのかもしれない。

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2009年9月23日 (水)

【crane file : 027】ビルバオ

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海外ついでにもうひとつ。こちらはビルバオのクレーン。なんだかトロピカルな気に囲まれた一品です。ちなみにビルバオは、ご存知だと思いますがスペインです。

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2009年9月22日 (火)

【crane file : 026】パリの夕景。

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夕日に映えるパリのクレーンです。高層建築盛んな現代を象徴のするようなクレーンが、パリの町ではなんだかノスタルジックに見えてしまいます。

 

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2009年9月21日 (月)

どこかでガメラが.....、

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どこかでガメラが復活する。

平成版ガメラ三部作の2作目、「ガメラ2 レギオン襲来」で、レギオンの攻撃にさらされ、仙台市で死んだようになってしまったガメラが、人々の祈りが通じ復活する際、地球の「気」ともいえる「マナ」がガメラの元に集まってくるシーンがあります。この雲を見ていてちょうどそんなことを思い出していました。

実は、子供の頃から、ゴジラよりもガメラフリークだった私は、この平成ガメラ三部作を見てすっかりやられてしまいました。ガメラ1には、私の知人もSFXスタッフとして参加していた事もあり、さらに深い関わりを勝手に感じています。(見てない方はさっぱりわからないと思いますが、沈む太陽でオレンジ色に染まった折れた東京タワーにギャオスが巣を作るシーンの絵を描いたと聞いています。すばらしいシーンでした。)
もちろんDVDはBOXで持っていますが、テレビでも放送されるたびについつい観てしまいます。
ちなみに、ゴジラシリーズのリメイク版は数本しかみていませんが、ゴジラという世界的なブランドに心無い大人が群がり、悲しいものになってしまったような気がします。
平成ガメラは、子供向けというよりは、子供の頃、ガメラに一喜一憂した我々世代に向けて作られた秀作だと思います。

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2009年9月20日 (日)

見事な造形。

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淡く、繊細で、やわらかく、複雑でかわいい。自然の造形はすばらしい。まさに神の御技といえるでしょう。

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2009年9月19日 (土)

発進!

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神楽坂の友人達が、「RED BULL BOX CART RACE」に出走する事になりました。写真は、その車の骨組み。チーム名は、松鶴家ポン&ハニーブーチュ☆。
リーダーは、松鶴家ぽんさん。ドライバーは、私もお世話になっているSARASのかづさん。(ちなみに、写真のドライバーは、かづさんではありません。ちょっと個性的で素敵な女性。名前は伏せておきます。)撮影場所は、同じくメンバーのお店CROSS OVER前です。私はというと、今回は囃子方。外野でワイワイ言っている方です。この骨組みがぽんさんの風船アートでカラフルな蒸気機関車に変身します。
公式サイトの人気投票では、現在3位。こちらでクリックしていただけると、さらに上位に食い込めるかもです。(松鶴家ポン&ハニーブーチュ☆をクリックすると投票できます。)

Pon

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2009年9月18日 (金)

この宿主は強かった。

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普通、寄生植物や蔓植物が繁殖し過ぎて宿主を殺してしまう光景は見かけますが、ここまで繁殖してなお宿主が勝利したのは、恐るべき生命力じゃないでしょうか?

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2009年9月17日 (木)

こまいのしし

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京都御所の烏丸通りを挟んで向い側、護王神社の「狛いのしし」。別名、いのしし神社と呼ばれるだけあって、境内の至る所にいのししがいます。この狛いのししは、犬と違って「ん」側の口がキリッと結ばれてなく、いのししらしい牧歌的でほほ笑ましい感じがします。

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なんと手水舎もいつもの龍ではなく、いのししです。

 

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2009年9月16日 (水)

【クイズ】都会の真ん中の見事な藤棚。

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広い歩道の真ん中に見事な藤棚があります。東京住んでいる人なら、だれもが一度は通った事があるんじゃないかと思えるくらい有名な交差点です。私も、それこそ数えきれないくらい通っていますが、残念ながら、この藤が咲いている時期に訪れた事はありません。来年は、行ってみようか。

 

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2009年9月15日 (火)

な、何が通った?

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会社の非常階段で、ふと、空を見上げたら.....。
いったい、何が通り過ぎたんだ???
飛行機雲というには大き過ぎる!!! ガメラか?
ちくしょう!もう少し早く出ていれば.....。

 

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2009年9月14日 (月)

何もこんなにしなくても.....。

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どうしてこんなにまとまりなく電線を引く必要があったんだろうか?おかげで信号機も埋もれてしまっています。映画「未来世紀ブラジル」を思い出してしまった。

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2009年9月13日 (日)

【クイズ】都心の真ん中に!

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都心の真ん中、しかも駅前にぽっかり開いた空き地。大通に面したこの駅は、どこでしょう?

※ヒント:JR線と東京メトロ2路線が乗り入れています。山手線より外にはいきません。

 

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2009年9月12日 (土)

大事なのは音だった。

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そもそも麻布十番に引越ししたのは、住みやすそうな街ということもさることながら、何となくパリのような感じがするということだった。小さくても味のある店がたくさんある事、街のど真ん中に小さいながらも広場(パティオ)があること、歩道が広く歩きやすい事、常に人が行き交い活気がある事、美味しいパン屋さんがあること、街灯がいい感じの光で照らしてくれる事.........。良いところはたくさんあるが、だからパリみたいかと言われると、他の街でも同じような風景はある。たしかにパティオに面して「Le Putit Tonneau」というブラッセリーがあって、パリっぽい雰囲気を醸し出しているが、それにしても、まだ弱い気がする。ある夜、たまたまパティオを一人出歩いていて気がついた。

「車だ!」。

パティオはご覧のように石畳になっている。この石畳を走るタイヤの音がパリの音だと思った。これでフランス独特のクラクションの音でもすれば、目の前に焼鳥屋があろうが、蕎麦屋があろうがパリの気分に浸れる........気がした。

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2009年9月11日 (金)

右か左か?

まずはこれを見てください。

「時計回りに見えますか?」あなたは右脳派だそうです。

「反時計回りに見えますか?」左脳派だそうです。

ちなみに、私は時計回りに見えました。反時計回りに見える人の方が多いらしいです。日本人では8割くらいが反時計回りに見えるそうです。
2007年の記事で有名なので、既にたくさんの方々がご存知だろうとは思うんですが、まだ見てない人のためと、私の記憶のためにリンクしておきます。何度も見ていると右に回ったり左に回ったりしだして、気持ち悪くなります。

ちなみに記事はこちら。右脳派と左脳派の違いが書いてあります。

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2009年9月10日 (木)

食事する機械。

「バイオ電池」なるものの存在を聞き、これはすごいと早速調べてみたら、SONYのプレスリリースで、2年前、既に発表されていた事を知ってさらにびっくりした。しかし、学者や技術者はまだしも、ほとんどの人がこの事を知らないと思う。知っていたとしても「ちょっと新しい電池の話」くらいの認識かもしれない。仕組みを簡単に説明すると、ブドウ糖を分解する酵素を使い酸素と反応させて発電する電池だ。こういうとかえって難しく聞こえるかもしれないが、要は、甘いもの(実験ではスポーツドリンク)で電気(エネルギー)が作られるということ。これは、食物を食べる事でブドウ糖を摂取し、酵素で分解し、エネルギーに変えるという、我々人間が自然に行っている事を応用した技術だ。実験では、この「バイオ電池」を複数利用して携帯音楽プレーヤーで音楽を再生している。近い将来、旅先でバッテリーが無くなったら、自分が飲んでいるジュースを少し分けてやれば、ふたたび動き出す。なんてことが実現するかもしれない。どの飲料がもっとも効率が良いか?なんて実験も流行るかもしれない。メーカーもより効率の良い(人間にもバイオ電池にも)エナジードリンクを開発するかもしれない。

ここまで想像を膨らまして「はっ!」と気付いた。「これって機械が食事するってことじゃない?」

そう、この技術のシナリオの先には、間違いなく食事する機械(ロボット)の存在が見えてくる。我々人間のように両手を使って食事するかどうかはわからないが、間違いなく、AIBOは、近い将来、ペットフードや、甘い飲み物を、その可愛い舌でペロペロやって食事し、充電は必要なくなるだろう。(まちがいなくSONYはそこらへんも狙っていると思う。)食事を持っていくとしっぽを振って喜んでくれるかもしれないし、我々が食べているものをねだってくれるかもしれない。ブドウ糖を含む食物(植物全般)なら何でも良いのだから旅先でも屋外でも困る事は無い。間違ってブドウ糖を含まない食物を与えてしまったら、賢いAIBOは、体外に出すため「ウンチ」するだろう。これはちょっと面倒かもしれないが、頭のいいAIBOは最初からトイレの場所を知っているし、教えれば間違いなくそのとおりきれいにしてくれる。もう、犬好きにはたまらない。充電が必要でなくなり、自由に動ける事で、鎖に繋がれない猫型AIBOなんかも生れるだろう。こうなったら何でもありだ。ペットロボットが、より身近な存在になる事はまちがいない。今、もっとも欠けている「食べる姿」を見られるのだから.....。世の中でこの「餌やり」に楽しみを見いだしている人は多いと思う。

残念ながら、いつの世にも心無い飼い主はいるもので、餌やリが面倒になり「捨てAIBO」が生れ、「野良AIBO」になってしまう時代がくるかもしれない。「野良AIBO」は、ごみ箱をあさり、そのことが社会問題になるだろう。動物愛護団体は虐げられるAIBOを守る運動をするのだろうか?また、魚型AIBOを池に放す輩も出てきて、池ではブラックバスと生存競争をするかもしれない。こうなればAIBOも立派な外来種(?)だ。


AIBOはまだいい、これが「ASIMO」だったら.....と、考えるとちょっと怖くなる。


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※これはSFのお話。実際には、自己修復能力も子孫を生む能力も持たない「野良AIBO」は、時間とともに朽ちていくだろうし、そもそも、飼い主登録され、自力で餌を探すというようにはならないかもしれない。「野良」になった時点で活動を停止するようにプログラムされるかもしれない。賢いAIBOは捨てられた時点で、自らごみ捨て場に行くのだろう。あまりにかわいそうな話だ。そうならない事を願ってやまない。

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2009年9月 9日 (水)

999の日の2

追記:ちゃんと、静岡県の大井川鉄道で999が走ったそうです。車掌さんもメーテルもいます。ホームは99番ホーム。


 

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Xboxは悪者、iPhoneはお手本?

オバマ大統領が、新学期を迎える子供たちにした演説で、「保護者には子どもがXboxばかりやらないようにする責任がある」、「iPhoneや新薬を発明するような革新的な人になるためには、科学の授業を受ける必要がある」と言ったそうです。

しかし、この演説、会場にカメラが向いた時に映るたくさんの学生が、手に手に携帯やデジカメを持ってる姿がなんとも......。「ちゃんと人の話は聞きましょう。」と、最初は思ったんですが、よく見ると、とても真剣に聞いているように見えます。(もしかしたら、演説を録音してるのかしら?)日本のこのくらいの年代の子供たちは、はたして鳩山首相の演説をこのように聞いてくれるのでしょうか?

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999の日

デザインをしていていくつかのバリエーションを作る時とか、日ごと変わるファイルを整理する時、私はよくファイル名に日付をつけて保存する。例えば、今日なら「○○○090908.ai」......。あれ?明日は、090909、「999」の日だ。ということでつい、銀河鉄道999を思い出した。こんなぴったりの日に何もやってないのか?と思い、ネットで検索してみる。案の定、いろんな事が企画されていた。

ちなみに今年は、劇場公開30周年らしい。

西武鉄道では、松本零士氏書き下ろしイラスト入りの「2009.9.9 記念乗車券」と「西武鉄道×銀河鉄道999 オリジナルピンバッジ」(プレスリリース/PDF形式)
今年5月から松本零士氏デザインの「銀河鉄道999デザイン電車」も運行されているらしい。

・TOEI VIDEOから「銀河鉄道999 劇場版Blu-ray」が発売される。

・鹿児島では、「銀河鉄道999映画祭in鹿児島」が開催される。

・上記映画祭にて、なんと新作「銀河鉄道999 ダイヤモンドリングの彼方へ」が上映される。入場料金は999円(一般)ちなみに、この映画の上映時間は、999秒。2009年7月22日、皆既日食を迎えた鹿児島に、999が到着するというストーリーになっているらしい。(今年、劇場公開30周年を記念して作られたもので、8月14日に開催された「銀河鉄道999映画祭」で上映されたもの。)

・大井川鉄道で「999号」を走らせる企画があるようだが、当の大井川鉄道のサイトに告知無し。

調べていく中で、平成9年9月9日にもいろんなイベントが催されていたようです。

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2009年9月 8日 (火)

【crane file : 025】挟む!

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壁の向こうでは一体何が行われているのか?・・・・・(工事です。)

身も竦むような咆哮とともに振り上げられたその腕は、
一体何を掴むというのか?・・・・・(だから工事。)

神への反逆か、悪魔へのオマージュか?・・・・・(神とか悪魔とか関係なくて工事。)

その鋭い爪が、今宵もまた、多くの血を欲している。

「だから、工事だって言ってるでしょ!!(だいだい、昼間だし!)」

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2009年9月 7日 (月)

体罰とピストル。

先日、テレビで教師の体罰についてあるタレントの話していた事が印象に残った。番組としては視聴者アンケートに基づく二択のクイズで、そのクイズは、小学生の子供を持つ母親100人に聞いた「時には教師の体罰も必要だ。」「どんなことがあろうと体罰は禁止。」の二択。驚いた事に体罰容認が87%、絶対禁止が13%という結果だった。もちろん、「時には」の解釈にかなり差があると思うので微妙なところではあると思う。それはみなが認めていた。しかし、出演者の中で「断固反対」の人もいた。彼女は、わかるまで何時間でも説明するという。これに対して彼は、子供を座らせて、何時間も説教するのはもはや「体罰」と言い放った。その通りだと思う。子供にとってそちらの方がよほどこたえるか、あるいは途中から思考が停止していると思う。大人だって何時間も上司の説教は聞けない。そんなことをしたらセクハラやパワハラで訴えられかねない。

さらに彼は付け加える。体罰をしてもいいのではなく、「体罰をしてもいい先生がいる」。微妙な言い回しだが、ようは、だれもができる事ではないということだ。本当にその子供の事を思って、将来を考えて叱る事はとても難しい。ついつい(教師の)ムシの居所が悪かったから面当てのように叱る(怒る)。これは最低だ。こういう親も世の中にはたくさんいると思う。本当に相手の事を思い、最善の方法としての体罰ならば許されるべきだ。その時、教師は自分の進退、つまり「クビ」を覚悟で生徒を殴るのだろう。そんな本物の教師が今の日本にどれだけいるのか想像もつかない。でも、たくさんいて欲しい。少なくとも親は絶対そうじゃないといけない(親はクビにはならないけれど.....。いや、ならないからこそ)。自分の勝手な感情で子供を叱るのは最悪なんだと思う。何時間でもわかるまで説明するというのは、一見、とても素晴らしい事のように感じられるが、親のエゴではないだろうか?こどもはそんなにものわかりはよくない。大人と比べて圧倒的に知識と経験が少ないのだからあたりまえだ。ときには一回の「コツン」が、「つねる」ことがもっとも効果的ではないかと思う。けがをするほど殴るのは論外。これが大人どうしなら何時間でもお互いが理解できるまで議論し合えばいい。

もうひとつ、彼は「警官のピストルと教師の体罰は一緒や。あっても使えへん、でも必要や。」と言っていた。
警官の「ピストル」は、必要か?必要だから全員が持っている。また、みんながそれを容認している。ただしこのピストル、持つためには「資格」がいる。日本では警察官しか持てない。法律的な事はもちろんだが、その資質がおおいに問われる。さらに、使えるのか?となると、どんどんハードルは高くなる。それこそ警官をやめる覚悟どころか、間違えば自分が犯罪者になる覚悟が無い限りピストルを抜いて引き金を引く事はできない。もちろん、個人の感情など入る余地は無い。「正義を守る義務」「罪も無い人々を守る」ため、最後の手段として使う。この「引き金」には守るべき多くのものが宿り、それを認識している警察官の両肩には、普通人では抱えきれないような重圧がのしかかる。その重圧に耐えられるだけの精神力と理性があってはじめて引き金を引く事ができるのではないだろうか?(最近は警官の不祥事もあるので、問題もあるが、まだまだ多くの警官に正義の志は残っていると信じたい。)

そう、警官の「ピストル」と教師の「体罰」は、立場や相手はまったく違うが、それを使う時の覚悟は同じで無くてはならない。警官はまだしも、その覚悟も持って、実践できる教師が、まだ、たくさん残っている事を願いたい。親もそれを理解してあげて欲しいと思う。

「殴られるよりも、殴る方が痛い。」殴る側も殴られる側も、親も教師もこの言葉の真意をわかる人が多くいて欲しい。自分の感情(怒り)にまかせ、殴るのなら、そこいらのチンピラとかわりない。

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2009年9月 6日 (日)

【crane file : 024】砲台

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まるで戦艦の砲台のようなクレーン。「左舷22度、目標、敵巡洋艦。主砲、発射!」

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2009年9月 5日 (土)

ある江戸風鈴職人の言葉。

「親方が苦しい家計なら、跡継ぎはできない。」

先日、テレビで、ある江戸風鈴職人の親方が言っていた言葉。この方は、弟子達に風鈴作りの技術だけではなく、百貨店などへの営業に同行させたり、お客さんとの応対を教えたりと、弟子が独り立ちして食べていけるように様々な事を教育されているということでした。また、ご自身は、風鈴の売れない冬場には単身アメリカに渡り、クリスマス飾りとして風鈴を販売したり、実演を見せたりとても精力的に活動されているということでした。

伝統と名のつくものは、どこも後継者がなかなか見つからないという苦悩を抱えているのは周知の事実です。なぜ、跡継ぎができないのか?あたりまえのことですが、「食えない。」からです。たとえ細々と暮らしていけたとしても、だれが望んで苦労を背負い込むでしょうか?生活に苦労する親方を見て、だれが後を継ごうと思うでしょうか?当事者じゃない周りの人々は、「ぜひ、残すべきだ。」「世界にも誇れる日本の伝統だ。」「これは日本の財産だ、あなた方は未来に伝えていく義務がある。」.....。ってな感じで、続ける事を暗に強制する。そのくせ、何をやるかといえば、せいぜい補助金を出そうとかいうお話になる程度です。

農業や漁業もそうだけど、この補助金というものがくせ者な気がする。たしかに、今現在、生活に窮している人には、ありがたい話だ。しかし、根本的に問題が解決するわけじゃない。さらにはこの補助金で後継者を育成しようという話にもなってくる。後継者を育てる事は立派な事だ。でも、親方が自分の生活でいっぱいいっぱいなのに、たくさんの後継者を育ててしまったら、市場を食い合い、ただでさえ苦しい生活が成り立たなくなってしまう。もうひとつ、補助金を出す側の人々が、この商品を買うのだろうか?どんなに素晴らしい匠の技でも、「素晴らしいわね。これこそ日本の美よ。でも、ちょっと家には合わないかしら。」「うちは洋風だから.....、マンションだから.....。」「こんなに素晴らしいものなんだもの、きっとみなさん欲しがるわよ。私じゃないけど.....。」なんて声が聞こえてきそうだ。また、補助金をもらって生活はできるようになっても、自分たちの作ったものが売れないのなら、本当の意味で人に喜んでもらえないのなら作っていても楽しくは無いでしょう?そんなものは時代を超えて長くは残っていかない。せいぜい二代か三代で滅びるでしょう。ちょうど今がその時じゃないかな?

伝統は、伝えられたものを模倣し残していくことじゃない。伝えられたものを活かし、その時代に生かすことが大事だ。だからこそ人々はそのものに価値を見いだし、お金を出す。結果、それは、ちゃんと時代を超えて残っていく。この「残っていく」ということが大事だ。「残していく」ではなく残っていかなければならない。たった一文字違いだが大きな違いだ。「残していく」というのは意思とか使命感とかで、時間が経つと薄れていったり、他に興味が移ったりしてしまう危ういもので保護に近い。「残っていく」のは自然な事、みんなが形式的でなく、それを必要とし、生活の一部として伝わっていく。その結果だ。

作り手は、その時代に合わせてモノづくりをしてほしい。頑固に「どうせ、今の人にはわからない」とか「伝統的にこれはこういうものなんだから」とか「生活がわかったから、時代が変わったからしょうがない」とか言わず、変化を受け入れよう。伝えられてきたものも時代によってその形を変えてきたように。我々受け手は、変わった事に目を向けよう。それでもだめなら、ちゃんと、これじゃあ欲しくないと言おう。欲しくも無いのに「素晴らしいですね、きっと売れますよ。」とか無責任なことは言わずに。

作る側と使う側の思いが一緒になって、初めて伝統になるんじゃないかと思う。

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2009年9月 4日 (金)

増殖。

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九段下駅そばのお堀に蓮が増殖していました。所狭しと折り重なり、まるでこのままお掘りどころか大地まで覆い尽くさんとするような生命力を感じます。

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2009年9月 3日 (木)

フレンチレストラン:Chez Olivier

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お店つながりでもう一軒。こちらも私がロゴデザインをてがけたフレンチ。千代田区九段南にオープンするフレンチレストラン:Chez Olivierです。最寄り駅は市ケ谷。半蔵門、九段下からも歩いていけます。こちもすばらしい経歴を持ったフランス人シェフ:Olivier ODDOS(オリビエ・オドス)氏がオーナーシェフの王道のフレンチです。こじんまりとして落ち着ける店内でまっとうなフレンチがいただけます。

フレンチ レストラン :シェ オリビエ
〒102-0074 東京都千代田区九段南4-1-10 1F
TEL. 03-6268-9933

ランチ 11:30~14:00
ディナー18:00~22:00
定休日 土曜ランチ、日曜、祭日

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2009年9月 2日 (水)

まるで私のギャラリーのようなお店。

Takaradori

9月3日、浅草8番出口のちょうど向い側のビルに宝どりという鳥料理のお店がオープンします。実はこのお店、ロゴやショップカードなどのデザインをさせていただきました。それだけではなく、お店中、わたしの浮世絵作品が所狭しと飾られています。それぞれの部屋の呼称も「烏帽子」「大江戸」「鼓」など、展示されている作品にちなんだものになっていて嬉しい限りです。中でも烏帽子は、横幅3mの大作、カウンターの風神雷神はバックライトでかっこよく仕上がっています。料理が、これまたすばらしい。宝どりの名前のとおり鳥料理がメインで、箱根の強羅花壇で修業されたまっとうな板前さんの手による創作料理はどれもこれもひと手間かけた美味しいものばかりでした。さらにお値段もリーズナブル。納得です。

浅草宝どり
(銀座線、都営浅草線、8番出口すぐ/東部伊勢崎線浅草駅向い)
〒111-0032 東京都台東区浅草1-1-16 HK浅草6F
tel.03-5806-2425

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2009年9月 1日 (火)

日本人は優しい。

衆院選は、おおかたの予想通り、いや予想以上で民主党の大勝となった。まるで4年前、小泉さんの劇場型選挙を思い出させるような展開だった。ただひとつ違ったのは、勝利を目前にしても笑顔がこぼれなかった鳩山さんを始めとする民主党執行部の表情だろう。この表情の裏にあるものは、おいおい時間が経てば見えてくるだろう。

それにしても、今回の選挙、おおかたの人々の評価は、頼りない自民党への失望からくる「罰」と、なんとなく(実行力はどうか見えないが)変化という希望を見せてくれた民主党への「ご褒美」のような感じで語られている。街の人々のインタビューを聞いても、自民党を心底嫌っているわけでもなく、民主党を称賛しているでも無い。自民党に対しては、「今回は、自分たちの非を認めて、悪いところは改め、出直しなさい。」「ちょっと傲りがあった、お灸をすえましょう。」というような、まるで、言って聞かない子供にゲンコツで軽く頭をコツンとやったような温度だ。民主党には、「マニフェストがそのまま実行できるとは思わないけど、何か変えてくれるかも?」「政策に裏付けが弱いけど、政権が変わるだけで何らかの変化はあるでしょう」程度で、「君がやってみたいと思うなら、先生はその意思を尊重しよう。精一杯やってみさい。」的なゆるさが感じられる。

つくづく、日本人は優しいと思った。

できることなら、この優しさをしばらくは持続しよう。たとえ、民主党がうまくできなくても、重箱の隅を突くように、上げ足をとるような批判はやめよう。ほとんど戦後初めてのような状況で政権をとったのだから、政府の裏側や、官僚との折衝などわからないことだらけで、始めからうまくいくとは思わないでいよう。やっと自分の足で立ったのだから、走れるようになるには時間がかかる。そのくらい暖かい目でみてもいいんじゃないだろうか?

問題は、マスコミだ。マスコミはすぐ手のひらを返す。重箱の隅は徹底的につついて重箱が割れるまで容赦しない。上げ足は、相手がひっくり返って転げ落ちるまでとり続ける。そのくせ、昨夜の鳩山さんに対する質疑応答では、「他に質問はありますが?」と促されているにも関わらず、「し〜ん。」と、まともな質問が出きる記者が現地にいない。これは本当に情けない。また、小沢さんに「今はまだ答える段階に無い。」と各局の司会者が何度も何度も繰り返し言わせるようなくだらない質問の仕方しかできない。こんなワイドショーみたいな報道番組しか作れないテレビ局にこそ「NO」と言うべきじゃないだろうか?少なくとも報道ワイドショーに躍らされ、「そうだ!そうだ!」と事実も知らず、お祭り騒ぎデモに参加するような大衆にはならないようにしよう。そもそもみんな個性があり、別々の名前を持っている。「大衆」や「視聴者」「有権者」なんていう十把ひと絡げの呼び方をされる事に疑問を持とう!自分の考えをしっかりもって、自分を信じ、誰に対して呼びかけているかわからないマスコミには躍らされないようにがんばろう!

歴史的なことが起こったんです。みんな生活は苦しいけれど、少しのあいだでいいから優しい日本人でいませんか?

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