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2009年7月18日 (土)

隠せばいいってもんじゃないだろう!

常用漢字表(1945字)に新たに加えられることになっていた191字のうち、「淫」「呪」「艶」「賭」など一部の文字が、教育現場には不適切と指摘を受け、再検討されるらしい。最近の教育、いや、社会全般に共通する問題点ではないかと思うが、この「臭いものには蓋をする」的な思想が、想像力や発想力の低下を招いているんじゃないかと思う。蓋をするだけじゃなんの解決にもならない。物事の根本を理解したうえで個々の判断基準は培われるもの。知らないものは判断できない。

今の教育現場はいったいどうなっているんだろうか?

私には子供がいないので、今の教育現場を間近で感じる事はできない。友人やマスコミの情報で判断するしかないので正しい考えかどうかはわからないが、どうにも教師の質が低下しているように思えてならない。教師をそこまで追い込んだのは、保護者や教育委員会かもしれないが、知識や教えるテクニックは身についているが人格的には何か足りないように思える。先生という言葉は、文字通り先に生きた人。人生経験豊富な先生から学問だけではなく生き方までも学ぶものではなかったのか?学ぶという事は、教えられた事をただ覚えるということだけではない。先生の生き様を感じ、そこから学び取るものではないだろうか?だからこそ先生は尊敬される。もちろん、それでは個々に差が生じる。各々興味の対象が違い、理解力に差があるのだから学び取れるものも違ってくる。それでは、みなが「平等」に学べない.....。この「平等」という言葉がくせ者だ。この言葉はとても良い響きを持っている。この言葉に酔い肝心なものの本質を見失ってしまうほど強い魅力がある。結果、無難にすまそうという風が吹く。

先生だって人間だ。良い部分もあれば悪い部分もある。正しい事もあれば間違う事だってある。しかし、先生は人生の中で遭遇する様々な出来事を己の能力や、さらに先人に助けられ乗り越えてきた経験がある。学問をするということにおいて間違いなく先生なのだ。「友達のような先生」なんてちゃんちゃらおかしい! 友達はまわりにたくさんいる。先生がすることじゃない!子供たちに平等を教えるため自らも平等に子供に戻ってどうする?

たしかに人を教え導く事はとても難しい。だからといって「先生と一緒に学ぼう」じゃおかしい。「先生から何かを学んで欲しい」にはならないのだろうか?子供は大人より理解力が乏しいから手を取って導いてあげないといけないのかもしれない。しかし、子供は大人が見過ごしてしまうような些細な事にもその驚異的な集中力で気付くものではないだろうか?そんな子供の能力の目を積んでしまってはいけない。だからこそ先生は先生でいなければならいんじゃないだろうか?

心配なのは、今の先生が、はたして子供たちの模範となるような人生経験を豊富に積んでいるだろうかということ。「友達のような先生」とともに温室でぬくぬくと育ってきて、保障がしっかりしている公務員がいいと教師の職を選んだ人達でない事を祈りたい。

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