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2009年7月29日 (水)

粗彫り

先週末、面乃会夏の合宿で京都に行ってきました。うだるような暑さとまでは、いきませんでしたが京都らしい蒸し暑い夏を堪能しました。今回のテーマは粗彫り。泥小飛出(でいことびで)に挑戦しました。狐神や妖精など地上を軽快に疾走する超人的な神を現わしているそうです。

粗彫りとは、荒堀りとも書け、細部まで手を加えずにざっと彫るという意味があります。およそどんな彫刻作品もこの段階を経て、細部の表現に移り、仕上げていくものです。今回、粗彫りは七面目になりますが、勢いでざっくりと仕上げていく事が苦手な私にとって毎回試行錯誤する行程です。思えば筆で絵を描く時も全体にざっくりと色を置くのではなく、端から順番に仕上げていくような描き方をしてきました。コンピュータで制作するようになり、色の置き方が変わりましたので今は少し緩和されていますが、昔から勢いよくざっくりと絵を描ける人がうらやましく思っていました。ちなみにそういう理由で私は印象派のような水彩画が苦手です。(観るのはきらいじゃないですが.....。)そんなわたしの苦手意識を克服できる糸口が面打ちにあるような気がしたのも、この世界に飛び込んだひとつの理由です。

そんな粗彫りで、今回、ひとつ気付いた事がありました。面打ちにとって粗彫りとは、単に不必要な部分をざっくりと取っていく作業ではなく、骨格を見つけることではないか?ということです。目や眉、瞼、口や歯という表面的な造形ではなく、顔の中にある骨格を見つけ出し、形を捉える事。さらに言えば、その面(おもて)の形、本質を知るための作業ではないかという事に、今さらながら気がつきました。表面的な要素が無いからこそ、より本質を意識する事ができる。デッサンなどで真っ白な石膏像を描く事と同じ事だと思います。この段階で躊躇し、恐る恐るやっていたのでは勢いのある面は打てないのではないか?とも思いました。週末に見学した金剛家の虫干しで、お家元がお話されていたことに、江戸期の面は、たしかに表面の細かな造形や彩色には当時の技術の粋を施した美しさがあるが、勢いでは室町期のものにかなうものではないということがありました。(能面は室町時代にそのほとんどが完成されていて、江戸期のものはその写しということになります。)

そんな思いが頭の中をよぎりつつ、その表面を透き見て骨格を捉えられる日はいつのことかと思う貴重な時間でした。
日々是、精進ですね。

R0019142

写真は、その粗彫りとお手本。こうして並べてみるとまだまだ掴みきれていないのがよくわかってしまって、恥ずかしいかぎりです。

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