2009年11月 9日 (月)

遅いのは丁寧だからじゃない。下手くそだから、遅いんだ。

テレビで、あるケーキ職人が話していた。

「遅いのは丁寧だからじゃない。下手くそだから、遅いんだ。」

丁寧な仕事をするというのは、プロとして最低限のこと。まずは、そこがプロのスタートラインになる。とすれば、丁寧だから仕事が遅いというのは、良い訳にならない。


また、ある宮大工の棟梁の言葉。

「自分にとって、もっとも大事な道具は「勘」(感性)だ。

結局のところ、人と違う事、人より良いものを作ろうとすれば、おのれの感性を信じるほかない。自分の感性を信じるためには、その感性を信じられる高みまで磨かなければならない。

やはり、その道の達人の域にのぼりつめた職人さんの言葉は重みが違う。

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2009年11月 8日 (日)

引き裂かれる!

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なんとも痛々しいんですけど。これ以上、上に伸びてもらっちゃ困ったのかしら?
目黒庭園美術館から、白金台に向かう途中で見られます。

 

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2009年11月 7日 (土)

貯金が1500兆円!

日本人は貯金が大好きだ!
みんながそうだという訳ではない。私は、貯金が出来ない。あれば使っちゃう。好きで貯金してる訳じゃない。先行きが不安だからしょうがなく貯金してるんだ。という人も多いと思う。とにもかくにも、日本は貯金大国だ。なんと1,500兆円も貯金がある。国の借金は860兆円で、大変だというが、その倍も貯金されている。なんとも不思議な状況だ。

さて、貯金っていったいどんなものなんだろうか?手元に現金で持ってても増える事は無い。いくら金利が安かろうが、銀行に預けていたら利息もつくし、なにより安全だ。この利息、いったいどうして増えるのかというと皆さんご存知の通り、金融機関は、預かったお金を運用して利益を出し、その内のいくばくかを利息という形で還元している。乱暴な話だけれど、1,500兆円預かっているという事は、他に1,500兆円貸している(投資も含む)ってことになる。そうしないと利息はつかない。そんなに貸す先があるっていうのがまず驚き。まぁ、国の借金が860兆円もあるんだから、貸す先には困らないのかもしれない。もちろん、国債を買えば、利息が付く。この利息は、国から支払われる。「えっ?それって結局税金じゃないの?」それが経済原理と言ってしまえば、そのとおりだけど、何となく納得できない。

じゃぁ、残りの分はどうなるの?
金融機関は、企業とかにも貸している。もちろん、貯金した者に支払われるより高い金利で貸している。企業はどうやってその金利を払うの?従業員が一生懸命働いて払うの。そう、結局僕らが払っている。その払っている内から少しだけ預けているお金の利息として戻ってくるの?

まぁ経済はそんなに単純なものじゃない。もっといろいろ複雑に絡み合っているはず。僕にはよくわからないけれど、でも、なんとなく1,500兆円の貯金って多過ぎるような気がする。

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2009年11月 6日 (金)

巨大なアンテナ!

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麻布十番商店街に突如現れた(気付いてなかっただけ?)巨大なアンテナ。これって何?

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2009年11月 5日 (木)

学ぶ事、発見する事。

学ぶという事において、記憶力は必要だが、最も重要な資質でない事は、皆が知っている。たくさんの情報を詰め込み記憶する事では、機械にかなわないし、そんなことで機械と競う必要もない。斬新なアイデアを発想するために必要なのは、着眼点と独自の解釈、つまり「感性(センス)」なんだと思う。この「感性」、よく、持って生まれたものと、あきらめを込めて語られる事も多いと思うが、決してそれだけではない気がする。子供の教育を論じる場で、ある方が発言していた内容に心引かれた。

「子供が学ぶという事は、多彩に遊ぶこと。子供にとってはすべてが学びである。」
よく、大人っぽい言動や行動(主に大人のまね?)をする子供を「賢い子」と評する大人がいる。だが、早く大人と同じようなことができるようになることが成長では無い。この点を多くの大人が勘違いしている。「子供っぽい」という言葉は、大人に使えば「幼稚だ」ということになるが、子供に対しては最も高い評価だろう。体を使い、頭を使い、感情豊かに表現する。最も子供らしい子供こそが将来、まっとうな「大人」になれるのではないだろうか?年齢によって、その時期にしか出来ない学び方や学ぶ事があると思う。それが、個性を育み「感性」を育てるような気がしてならない。

「絵に書いたものを見せるのではなく、本物を与えることが大事。」
リンゴならリンゴを手に取ることで教える。実は、その方が、本や写真とは、桁違いの情報量を五感で感じることができる。当たり前のことだが、果たしてできているだろうか?面倒だから、こっちの方がより多くのものが見れると自分を納得させながら、絵本や百科事典でごまかしてはいないだろうか? 実際、「リンゴ(本物)とくだものの絵本、どちらを子供に与えますか?」と聞けば、ほとんどの人が絵本と答えるのではないだろうか?
絵本でたくさんの果物の名前を覚えるより、本物から、色、形、大きさ、堅さ、重さ、香り、味、たったリンゴ一個で、絵本一冊分を超える情報や経験が学べるんじゃ無いだろうか?絵本のリンゴとバナナの違いは大して多く無い。では、実物はどうだろう?科学的なことには触れなくとも、桁違いに多くのことが感じられると思う。もはや冷蔵庫は神秘の扉に早変わりだ。それに比べて、本のなんと薄っぺらいことか。ただ、その楽しさを感じられるように導く親の難しさを考えると頭が下がる。だけど、もしかしたら親も同じように楽しむだけで良いのかもしれない。「りんごの皮はどうして赤いの?」「どうしてバナナの皮はああいうふうにむけるんだろう?」「りんごの皮とバナナの皮はどうしてこんなに厚みがちがうの?」子供の好奇心は際限ない。大人だってわからない。そこではじめて一緒に本を開いて調べてはどうだろう?親も一緒に楽しんでいることを、きっと子供は敏感に感じ取ることだろう。
こういうことを考えると、親はなんて大変なんだろうかと思う。そうするには、今の親は忙しすぎるような気がする。頑張れ!お父さん、お母さん!

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